廃止から30年超「JR標津線」のいま 北海道東部に残る長大路線の痕跡 地域は車社会に
各所にあった「標津線」の足跡…そして現状は?
標津町の根室標津駅跡には、転車台とC11蒸気機関車が残され、別海町の西春別駅跡の鉄道記念公園には記念館があります。
記念館には実際に駅で使われた乗車券箱や、標津線の歴史図表、最終列車のヘッドマークなどが残され、D51蒸気機関車とディーゼル気動車キハ22が展示されています。ちなみに、「D51-27」と銘板が付くこの型式のD51は、案内看板によると日本に1台しか残っていないサハリンで走った車体ということです。
別海町の郊外には、標津線の上春別駅のホームも残されています。防風林にあるこの駅跡では案内板と駅名標が、かつての姿を伝えています。
中標津の街中で、周辺の方に標津線について質問してみました。すると「子供の頃に見た記憶がある。今は車社会で、このあたりの人は皆車を持っているし……」と、淡々としていました。――周辺の方にとって標津線は思い出として残ってはいるものの、いまやこのエリアの方の日々の暮らしは、モータリゼーションの中にあることが感じられました。
冒頭にあげたJR東日本と西日本はこれから、赤字区間の収支改善へ取り組むことになります。大きな議論が控えていますが、標津線をはじめとしたかつての赤字ローカル線のその後は、将来への参考になるでしょう。
歴史遺産として伝えつつも、視線を沿線の方の「将来の暮らし」を向上させることへ向ける――。令和の鉄道の赤字への取り組みは、こうした意識も参考になるのかもしれません。
【了】
Writer: 加賀幸雄(旅行ライター)
日本各地の名産や景勝に興味があり、気ままに目的地を決めて2泊3日程度の 小旅行を楽しんでいる。
コメント