ドラマか!? エアバスが巨大旅客機メーカーにのし上がるまで リスクとった“常識はずれの賭け”連発

現在ボーイングと双璧をなす航空機メーカーとして知られる「エアバス」。同社が開発した初の旅客機「A300」の軌跡を見ると、大きな賭けに挑み続けてきた歴史が見えてきます。

まさかの「タダで使っていいよ」作戦展開

 欧州の大手航空機メーカー、エアバスが最初に世へ送り出した旅客機「A300」は、50年前の1972年10月28日に初飛行しました。今は米国ボーイングとともに世界2強の航空機メーカーまで成長を遂げたエアバスですが、A300の軌跡を見ると、大きな賭けを経て、スターダムにのしあがった会社といえるでしょう。それはまるで「若いころ苦労した大物俳優のサクセスストーリー」に似ているように思います。

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TDAのエアバスA300(画像:JAL)。

 エアバス・インダストリー(当時の名称)が設立された1970年は、米国のジェット旅客機が世界を席巻していました。そのようななか、英国・仏国もデハビランド「コメット」やシュド・カラベルなどを手掛けたものの、米国勢をしのぐほどのヒット作には至りませんでした。

 エアバスは、巨大市場であり本丸でもある米国内での売り込みを目論み、ボーイング727やマクドネル・ダグラスDC 9といった100席級と、ボーイング747やマクドネル・ダグラスDC-10といった200席級や300席強級のあいだに位置し、いわばニッチ市場になる双発の250席級のモデルとしてA300を開発しました。しかしそれをもってしても、米国勢のジェット機たちが築き上げた牙城を突き崩すことはできませんでした。

 そこでエアバスは常識はずれの“賭け”に出ます。米イースタン航空からの無償貸し出しという提案を受け、それを実施したのです。4機のA300B4を貸し出し、イースタン航空は、気温の変化が激しくもっとも過酷な路線と言われた、マイアミとニューヨーク、カナダのモントリオール間でA300の性能を試しました。後に「Fly before You buy(買う前に飛ばす)」と称された、あまりに斬新なこのセールス方法は、エアバスにとっても社運を賭けたものだったことでしょう。

 賭けは、エアバスが保証した燃費消費率より3%も少ない好成績をA300が上げたことで、1978年4月に23機の確定発注に結び付き、成功を収めました。

 しかし、A300は念願の米国上陸を果たしたものの、初飛行から10年近く過ぎれば、航空会社の関心は新しい技術へ向きます。

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