ドラマか!? エアバスが巨大旅客機メーカーにのし上がるまで リスクとった“常識はずれの賭け”連発
まるでドラマ? その後も続くエアバスの賭け
そこでエアバスは胴体を短くしたA310の開発と、A300そのものの改良に乗り出し、ここでもう1つの“賭け”に出ます。
デジタル技術の進歩にともない、航空機関士を必要としない、2人乗務のモデルとしたのです。これは航空機関士の役割を奪うことになり、反対も予想させる内容でもありました。「クラシック・ジャンボ」と呼ばれたボーイング747の初期タイプをはじめ、まだ200席以上の旅客機市場では、大勢は3人乗務が当たり前だった時代です。
しかし、エアバスは折れずに計画を進めます。また、A300の胴体を約7m縮めたA310-200はA300-600より倍近い約8%の複合材を使い、A300-600/600Rでは主翼の改修なども行うなど、さまざまなアップデートを加えました。こうして、A310-200は1982年4月3日に、A300-600も1983年7月8日にそれぞれ初飛行しました。
A310とA300-600/-600Rが就航し、エアバスはこれを成功ととらえ次作のA320ではさらにハイテク化を進め、主要な操縦系統に旅客機で異例となる、油圧の代わりに電気制御でパイロットの操作を動翼に伝える「フライ・バイ・ワイヤ」を導入しました。
これももちろん大きな賭けで、ハイテク機は一時期、「誤った入力をそのまま実行し事故につながる。行き過ぎではないか」とパイロットが戸惑いを覚えましたが、結果は現在“世界一売れた旅客機”と称されるほどのヒット機に。その後はボーイングも「フライ・バイ・ワイヤ」を採り入れています。
世間に認められるまでは苦労し賭けにも出ましたが、それらをリスクの恐怖に折れることなく乗り越え、エアバスは有名メーカーになりました。大物俳優が語る前半生に似てもいますが、1970年代にエアバスの最高経営責任者だったベルナール・ラティエール氏は、かつて「エアバスは、欧州が力を1つにすれば何ができるかを示す政治的象徴だ」と述べています。
A300の賭けが成功した背景には、欧州が元々持つ工業力と、米国に劣らぬ挑戦志向、そして粘り強さがありました。加えて、離合集散や軋轢を繰り返しながらも、「欧州は1つ」とする気持ちがあったのも間違いないでしょう。
【了】
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
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