エアバス=「空飛ぶバス」なぜメーカー名に 50年前の大逆転劇の第一歩 始まりは“コンコルドの失敗”?
A300をどう売った? その後エアバスは欧州の巨人に
しかし「メルキュール」は、ライバルの737シリーズに販売で大きな差をつけられ、製造はわずか12機でとどまっています。A300の開発は、この「メルキュール」の借りを、新型機で“倍返し”するためヨーロッパの航空機メーカーの技術を結集したのではないかとも考えられるのです。
A300を開発することに社運をかけたエアバス・インダストリー社。もちろん諸説あるものの、こういった経緯を見ると、何となく会社名にインダストリー(産業)をつけた訳が分かるような気がします。
エアバス・インダストリー社は、とくに米国・そして日本を含む東アジア地域において、まさに粉骨砕身の覚悟で、A300の販売に挑みます。たとえばTDA(東亜国内航空。のちにJASとなり、現JALの一部に)へは支払い条件などの価格面で大幅に譲渡をしたほか、機材維持のために手厚いサポートをするなど、相当有利な条件を提示したともされています。また、アメリカのエアラインはヨーロッパ製の機体に関心が無かったことから、イースタン航空からの無償貸し出しに応じるなどの斬新なセールス方法を展開していたそうです。
そのような努力もあり、エアバスはA300を約550機売り上げ、経営が安定したことで、新型機を次々と生み出していきます。
エアバス・インダストリー社はその後、電気制御で動翼を動かす「フライ・バイ・ワイヤ」技術を搭載するなど革新的な技術を用いた「A320」を開発し、1988年にデビュー。この機は世界一の売上を誇るメガヒット作となり、エアバス社の名前を世界に大きく知らしめました。このベストセラー機が生まれたことにより、737への“倍返し”にも成功し、エアバス・インダストリー社は旅客機メーカーの2大勢力の一角を占めるまでに規模を大きくすることができたのです。
その後、A330(約1500機)やA340(約400機)、A380(約250機)などを開発。様々なエアラインの用途に対応できる機種構成を展開しており、2003年以降、ボーイング社のジェット旅客機の受注機数で凌駕して、世界一位を記録し続けています。
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