日本初の多発ジェット機 川崎「C-1」初飛行 - 1970.11.12 輸送機らしくない飛行披露もあと少し

今でも現役 銀色塗装のC-1試作1号機

 C-1の開発が始まったのは1960年代です。当時、航空自衛隊の輸送機はアメリカから供与されたプロペラ駆動のカーチスC-46しかありませんでした。同機は戦前に初飛行した古い機体ゆえに、1960年時点ですでに輸送機としての能力は不十分なものとなっていました。そこで、より高性能な次世代機を新規調達すること、さらに将来の国内産業の発展を見据えて国内開発することが決定したのです。その結果、導入されたのがC-1でした。

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航空自衛隊岐阜基地のC-1FTB飛行試験機。C-1の試作1号機を転用した機体で、外観が銀色なのが特徴(柘植優介撮影)。

 設計と開発は、戦後初の国産旅客機YS-11を製造した実績により日本航空機製造(日航製)が担当、生産については国内の航空機メーカーが分担して担当することになりました。

 ただ、日本航空機製造は自社工場を持たないため、原価管理が甘く、当初の計画では赤字必須であることが露呈します。加えて同社は法律で民間機にしか携われないと明言されていたため、量産については川崎重工業が主契約企業になったのです。C-1が川崎重工製といわれるのは、これが由縁です。

 最初に完成した試作1号機(XC-1)は、1969(昭和44)年から川崎重工業の岐阜工場で組み立てが行われ、翌年8月にロールアウト。それから約3か月後に航空自衛隊岐阜基地で初飛行を達成しました。

 当時のカラーリングは、機体の大部分が金属感を感じる銀色で塗装されていました。しかし、これだと地上駐機中に上空から目立つことが問題視され、1978(昭和53)年頃から現在の迷彩塗装に切り替わっています。ただ、初飛行当時の銀色塗装は試作1号機で受け継がれており、同機を転用したC-1 FTB(飛行実験機)は銀色塗装のまま航空自衛隊岐阜基地を拠点に飛び続けています。

 その後、1973(昭和48)年に入間基地の第402飛行隊から配備が始まり、翌1974(昭和49)年からは実任務への投入もスタート。その後、小牧基地の第401飛行隊(後にC-130Hへ機種変更)と美保基地の第403飛行隊でも運用が始まりました。

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コメント

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2件のコメント

  1. 1945年8月7日午後1時すぎ、それは
    、緊張と感動に満ちた、日本航空史上、記念すべき瞬間であった。「橘花」は上昇を続け、高度600メートル付近で水平飛行に移った。前間孝則著「ジェットエンジンに取り憑かれた男」より。因みに「橘花」には「ネー20」というジェットエンジンの双発機です。

  2. やっぱり、かっこいいなぁC-1