傑作機のDNAをミックス! 戦闘機P-75初飛行 - 1943.11.17 “早い・安い・性能イイ”は成功した?

名機からの流用を止め専用設計にした結果…

 ここでフィッシャーは、開発期間の短縮と生産コストの低減を目的に、既存機の部品を積極的に流用することにしました。主要部分だけ見ても、主翼外側と胴体下部のラジエーター部分はノースアメリカンP-51「マスタング」戦闘機のものを、主脚にはヴォート(チャンス・ヴォート)F4U「コルセア」艦上戦闘機のものを、そして尾翼にはダグラスSBD「ドーントレス」急降下爆撃機のものを各々用いていました。そのため、独自設計といえるのは、コクピットを含む胴体前半分と主翼付け根くらいだったといいます。

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XP-75の改良型として造られたP-75A戦闘機(画像:アメリカ空軍)。

 こうして、P-75は開発契約の締結から約1年で試作機の初飛行にこぎ着けます。ただ、試験飛行は惨憺たるものでした。機体前方を貫く延長軸は振動を引き起こし、なおかつエンジンの冷却不足も問題になりました。さらに重心位置もおかしかったため、機体の安定性も悪かったといいます。

 これら数多くの問題を改善するために、P-75は主翼や尾翼に既存のものを流用することを止め、コクピットの風防や重心位置まで見直す根本的な設計変更が行われました。しかし、ここまでの改良となると時間もコストもかかります。

 その結果、既存機を流用することによる開発期間の短縮や生産コストの低減は考慮できないところまできていました。加えて本機の開発がもたついているあいだに、既存のP-51「マスタング」やP-47「サンダーボルト」などでも長距離護衛戦闘機としての役割を担わせることが可能であることが判明したため、P-75の必要性は相対的に低下しました。

 その結果、P-75はわずか14機(試作機含む)が造られただけで部隊配備されることなく姿を消したのです。

【了】

【写真】P-75「イーグル」戦闘機の飛行シーンほか

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