廃艦予定から奇跡の復活! 戦艦→空母「加賀」進水-1921.11.17 きっかけは関東大震災

ミッドウェーの海に没す

「加賀」は中華民国軍と戦った1932(昭和7)年の第1次上海事変や、同じく1937(昭和12)年に起きた第2次上海事変にそれぞれ参加し、偵察機や攻撃機を沖合から発進させて、杭州などを爆撃しています。

 その後、1941(昭和16)年12月に太平洋戦争が始まると、ハワイの真珠湾攻撃を皮切りに、ラバウルやポートダーウィン攻略など、南方作戦に従事しました。

Large yuki 01

拡大画像

1936年に撮影された空母「加賀」。建造当初から大きく改装された後で、一段全通式の飛行甲板となっている(画像:アメリカ海軍)。

 しかし1942(昭和17)年6月、太平洋戦争における勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦が運命の一戦となります。5日朝、ミッドウェー島の攻撃へ向かった味方機から相次いで「敵艦隊発見」が報告されると、「加賀」の飛行甲板では艦載機に対し、陸上攻撃用の爆弾から艦船攻撃用の魚雷へ転換が行われました。続く攻撃隊の発進は大きく遅れます。

 慌ただしい「加賀」に、アメリカ軍の急降下爆撃機が襲来します。発進準備中の飛行甲板に爆弾が命中し、兵器や機体に次々と誘爆。さらには航空機用の燃料タンクにも爆弾が命中し、「加賀」はあっという間に炎に包まれます。消火活動もままならず、およそ9時間後に大爆発を起こしながら沈没。なお、この海戦ではほかに3隻の空母も撃沈されています。

 戦艦として生まれ、一度は廃艦が決定するも空母として再出発を果たした「加賀」は、今もミッドウェー島沖の海面下5200mという深海に眠っています。

【了】

【写真】真珠湾攻撃へ向け航空機を満載する「加賀」

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。