板橋の珍景「団地の真下が地下鉄車庫」どうしてこうなった? かつては団地以外も上に

都営三田線の車両基地は、立地が極めて特徴的です。西台駅に隣接する高層団地の真下の地上に車庫が設けられています。団地と一体化した車両基地、こうなったのは三田線開通の頃にさかのぼります。

巨大な団地と人口地盤の下にある三田線の中枢機関

 都営三田線の西台駅を降りるとすぐに、高層団地の「都営西台アパート」および「東京都住宅供給公社西台住宅」が複数棟建っているのが確認できます。

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西台駅を出てすぐ見えた番線表示と東急の車両(斎藤雅道撮影)。

 建物自体重厚な造りで、普通イメージする公営住宅と違う印象を受けますが、その最大の特徴は建物が立っている下にあります。三田線の車両基地である「志村車両検修場」が置かれているのです。

 公営住宅の敷地の下に1~18番線までの車両置き場があり、さながら秘密基地のような印象を受けます。このような状態になった理由は、三田線開通の頃に話はさかのぼります。

 1968年12月、都営三田線は巣鴨~志村(現・高島平)間から開業しました。同路線が開業した主な目的は、建設中だった高島平団地の住民を山手線が接続する巣鴨まで運ぶこと。その開通に先立ち西台に建設されたのが志村検車場で、翌1969年には整備工場として、志村車両工場が発足しています。しかし、当時は上に建物はありませんでした。

 志村検車場や志村車両工場が建てられた後に、団地は計画され、車庫の上に人工地盤を敷く形で建設されました。なぜそうなったかというと、住民の受け入れを増やすことと、土地の有効活用という目的がありました。人工地盤の上にはさらに、板橋区立高島第四小学校も建設されましたが、廃校となり現在は駐車場になっています。

 その後、2000年に志村検車場と志村車両工場が統合され、志村車両検修場と名称が変わり、今に至ります。同施設の敷地には、車両検修場のほかにも、志村保線管理所、乗務員基地の高島平乗務管理所、職員住宅の志村寮などが置かれ、三田線の重要施設となっています。

 なお、三田線は開業当時4両編成で、1972年以降、6両編成の時期が長く続きました。2022年には8両編成の運行を開始するということになりましたが、同施設は、元々8両編成を想定して作られていたため、大きな混乱はなかったようです。
 
 ちなみに、地下鉄では同施設だけですが、都営バスの場合は渋谷車庫や早稲田車庫などが同じように、バスの車庫の上に建物が立っています。

【了】

【基地? 要塞?】高層団地下の車庫(写真)

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Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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