乗りものニュース 特別企画
【特集】なんだこれ? 全国の鉄道「珍風景」ヘンテコでも実は理由あり!
こんなところに「踏切」「ホーム」「駅」!?など、鉄道の珍風景を集めました。
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赤羽駅西口から出て線路沿いに北へ向かうと、小高い丘があり、「八幡神社入口」とかかれた看板と新幹線の高架が現れます。実はこの丘の上にある八幡神社は、お参り目的以外に、絶好のトレインビューを楽しめるスポットにもなっているのです。
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見通しが悪い交差点では、その手前に予告信号が設置されることがあります。同じ理由から、踏切の存在が視認しづらいケースで、「予告警報機」が設置されている場所がありました。
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北戸田駅は埼京線の快速が止まらない、どちらかというとマイナーな駅かもしれません。しかし、一度行ってみるとその異様は大きく目に焼きつきます。とにかくホームが高いのです。
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東京都内の車両基地や鉄道関連施設が集まる“鉄道の街”に、公道を横切る単線の踏切があります。閉まったときのほうがむしろレアな部類。どのような車両が通るのでしょうか。
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桃太郎ゆかりの地といえば、文化庁も認定する岡山県が思い浮かぶかもしれませんが、瀬戸内海を挟んだ対岸 高松市内のJR予讃線には、「桃太郎踏切」が存在。桃太郎のオブジェもありますが、なぜでしょうか。
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踏切には通常、遮断桿と呼ばれる長い棒状のものが使われますが、かつては、特に幅の広い道路の踏切で、ワイヤーやロープを用いた昇降式が見られました。なぜ数を減らしたのか、そして今でも見られる場所ではなぜ存続しているのでしょうか。
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熊本電気鉄道の終着駅・御代志駅がまもなく移転されます。小さなホームが一つあり、反対側はバスのりばとなっていた簡素な終着駅は、駅舎を備えた近代的な駅に生まれ変わります。
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JR高麗川駅の近くに、「ポッポ道」と名付けられた遊歩道がありますが、途中には踏切警報機が立っています。それもそのはず、ここは廃線跡なのです。
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周囲に田畑が広がり、交通量も決して多くないJR成田線の踏切脇に、大きなお地蔵さんが鎮座しています。地元の人曰く「かつて事故があった」そう。お地蔵さんはその供養のためとも考えられますが、もうひとつ別の理由を考察してみます。
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通学路などにはクルマのドライバーに減速を促そうと、道路のペイントで幾何学模様を浮かび上がらせる「イメージハンプ」が導入されることがあります。同じように、文字を浮かび上がらせる踏切が北九州に登場しました。
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東急東横線の渋谷駅3番ホーム向かいには、柱が並ぶ謎の空間が広がっています。乗り場がもう一つ作れそうな空間、何の目的があるのでしょうか。
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名古屋市営地下鉄鶴舞線に、「いりなか」という平仮名の駅があります。珍しい標記にはどんな背景があるのでしょうか。
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さいたま市内のJR線を中心に、新しいタイプの駅名標が登場しています。時刻表などが掲出されていた掲示板スペースに、一部表記を省く形で、いかにも狭く配置されたニュータイプ駅名標。今後これがスタンダードになるのでしょうか。
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ターミナル駅のホームで営業を続けてきた「日本一小さなファミリーマート」が閉店しました。“駅ナカコンビニ”がコンコースや改札外に進出するなか、売店から進化したホームのコンビニは徐々に減少しつつあります。
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かつて「天空の駅」として名を馳せたJR三江線の宇津井駅。この駅は廃止されましたが、似た構造の駅が、福岡県にあります。なぜこのような高い位置に駅ができたのでしょうか。
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JR中央・総武線各駅停車の飯田橋駅は、2020年7月にホームが西側へ移設され、大きく姿が変わりました。昔のホームはまだ現地に残され、「遺跡」のような姿に。「遠くなった」東口とともに、どうなっていくのでしょうか。
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新潟駅で一時話題になった「情報量の少ないのりば案内板」。番線ごとの案内に「在来線」としか書かれていませんが、駅のリニューアルでどう変わるのでしょうか。
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踏切の遮断桿の長さは現地条件により様々ですが、中には異様に長いものもあります。東京・東村山駅付近のそれは屈折式ではない1本棒で、長すぎて遮断時は地面にペチッとついてしまうほどです。
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日本国内の鉄道の軌間(線路幅)は、狭軌と呼ばれる1067mmが主流で、新幹線や一部の私鉄で標準軌と呼ばれる1435mmが採用されています。そしてごく少数、ナローゲージと呼ばれる762mm軌間の鉄道路線もありますが、上記3種の軌間をまたぐ踏切が1か所だけ存在します。
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新緑の季節、特に観光客が多く訪れる京都・嵐山には、「インスタ映えスポット」になっている踏切があります。同踏切はクルマの通行が禁止されており、車止めが設置されていますが、それがかつては竹を模したものでした。
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分かる人はピンとくる仕掛けになっています。
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3社の鉄道路線が横切るのに、警報機も遮断機もない、いわゆる第4種踏切が茨城県の下館駅付近にありました。安全上の理由から現在は廃止されていますが、地元住民、市、そして鉄道会社が協力し、迂回路が整備されています。
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鉄道は半ば強引に敷設されることもありました。それが社寺の境内だったとしてもです。そのような寺社は全国に点在しますが、敷設当時は本当に強引に映ったかもしれません。ただ、今ではむしろ、名所のようになっている場所もあります。
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山陽電車の大塩駅にて、上りの特急で行われていた「ドアカット」が解消されます。この駅が長らく短いホームのままで営業を続けていた背景には、塩田の町としての歴史と、巨大リゾート計画に絡んだ駅移転構想がありました。
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神社の一の鳥居と二の鳥居の間に鉄道の線路が通っているという場所が福岡県にあります。表参道となっているため、参拝しようとすれば線路をまたぐしかありません。
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阪急神戸線の御影駅近くに、フェンスで囲まれた小さな踏切があります。とはいえ現役の踏切。渡るにはフェンスを開ける鍵が必要です。一般的に鉄道の踏切は誰もが渡れるはずですが、この踏切は何のためにあるのでしょうか。
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2009年5月末まで、「日本一長い」とされる踏切が拝島駅の東側にありました。JR青梅線や西武拝島線のほか、横田基地へ向かう線路も跨ぐため長さは約130m。ただ安全確保のため自由通路が設置されても、踏切を利用する人が多くいました。
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一般的な踏切には警報機のほか、「→」「←」といった通過列車の方向を示す表示器が備わっています。しかし広島駅近くにある愛宕踏切は、「山陽貨下り」「芸備」「山陽上り」「車庫入」など計7種類を表示します。何のためでしょうか。
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都営三田線の車両基地は、立地が極めて特徴的です。西台駅に隣接する高層団地の真下の地上に車庫が設けられています。団地と一体化した車両基地、こうなったのは三田線開通の頃にさかのぼります。
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大阪の地下鉄では、踏切がないはずなのに、トンネル内でカンカンという音だけ聴こえることがあります。関東では、地上・高架区間に関わらず、駅で踏切の音が聴こえてくる路線も。不思議な踏切の音にはもちろんワケがあります。
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1914年に開業した東京駅。この時からホーム屋根を支えた鉄柱の一部が、震災と戦災を乗り越えて100年あまり使用され続けました。現在はホーム屋根の改修に伴い撤去済みですが、一対2本は保存されています。現役末期の姿を振り返ってみましょう。
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横浜の都心部、桜木町付近にある踏切は、もはや無くなって久しい造船所名をそのまま冠しています。そしてここは、150年に及ぶ鉄道貨物の歴史を感じられる場所でもあります。
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愛知県の東名阪道のリニューアル工事で、鉄道と同じ「線路」が敷設されています。珍しい光景ですが、どうやって工事を進めているのでしょうか。
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都営地下鉄のホームにある最新の列車案内板は、情報更新時に画面が「クルン」と回る仕組みで、かつての「パタパタ」を彷彿とさせます。
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銀座のはずれに古びた踏切信号機がポツンと1本佇んでいます。その先でカーブを描く小さな道路、やはり「鉄道」だったようです。
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朝夕に東海道線で運転される特急「湘南」のうち、東京行き2本は、一般の東海道線とは異なるルートを通ります。知らない人は車窓風景に驚くかもしれません。
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東急新横浜線の日吉駅を平日の20時51分に発車する列車は「急行」大和行きですが、なんと終点まで全駅に停車します。実質“各駅停車”なのに、なぜ急行と表示されるのでしょうか。
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京急では、「快特」を名乗りながら通過駅ゼロの列車が存在します。中には空港に行かない「エアポート急行」も。なぜこのような列車が走っているのでしょうか。
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もともと6両編成だった東急目黒線は、相鉄線との直通を控えて順次8両編成に改められています。東急5080系は増結車を4・5号車に組み込みますが、製造年が従来車と10年以上差があり、特に内装では様々な差が見られます。
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都営三田線で新型車両6500形が運行を開始しています。順に既存の6300形が置き換えられていますが、これにより東京の地下鉄では珍しかった座席が見納めに。どうやらこの座席を利用して、相鉄線へは行けなさそうです。
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丸ノ内線全区間の列車が6両編成で統一され、方南町支線を走る3両編成の列車も運転を終了します。これにより、同線の専用車両だった02系80番台が見納めとなりそうです。
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数ある「近鉄特急」のなかでも主力だったのが12200系です。「新スナックカー」としてデビューし、特急車両としては52年目にして引退したものの、改造車両は今なお現役。なぜここまで重宝されたのでしょうか。
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「ことでん」こと高松琴平電気鉄道には、経済産業省が「近代化産業遺産」に認定した3両のレトロ電車が在籍しています。すでに1世紀近く前の製造ながら、一部は作業用車両として現役。その歴史を振り返ります。
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名古屋市の地下鉄鶴舞線に乗り入れる名鉄豊田線の100系電車は、運転開始から40年以上が経過する古参車両です。いまだに新型車両で置き換えられていないこの車両、今後どうなるのでしょうか。
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1960年、後に「日本一豪華な私鉄特急」と呼ばれる車両が東武鉄道に登場しました。1720系「デラックスロマンスカー」です。フリースペースやビュッフェを備え、座席は当時の国鉄特急の1等車並み。誕生の背景を探ります。
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関東エリアから中国エリアにかけて多くのJRの直流線区で走っていた国鉄の近郊形直流電車「115系」。最大約1900両が製造されましたが、新型車両との置き換えにより減少し続けています。いまどこで、どれだけ走っているのでしょう。
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ステンレス車両の導入以降、東急電鉄の車両にはコーポレートカラーである赤色の帯が施されてきました。田園都市線の8500系も同様のスタイルでしたが、たった1編成「青帯」の電車があります。なぜ赤くないのでしょうか。
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小田急電鉄の看板車両「特急ロマンスカー」。中でも運転席を2階に設け、客室を車体前面まで伸ばした展望席を持つ「VSE」「GSE」は人気でしたが、うちVSEが定期運行から引退しました。両車両を走らせた元運転士に思い出などを聞きました。
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国鉄末期に登場した165系改造の「パノラマエクスプレスアルプス」。団体臨時列車で山手貨物線を走ることは日常の光景でしたが、「山手線」も走ったことがあります。ただATCを搭載しておらず、ある工夫をして実現しました。
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東武鉄道の特急「きりふり」が運転を終了したのに伴い、350型電車の定期運行が終了しました。この350型電車は急行「りょうもう」で使われた1800系電車を改造したものですが、1800系は特急用に改造されただけではありませんでした。
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東京メトロ有楽町線・副都心線で使用される7000系電車。新型車両17000系の増備により廃車が進んでいます。この東京メトロ7000系、そう遠くない日に見納めとなりそうです。
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小田急電鉄の特急ロマンスカー「VSE」が引退しました。ロマンスカーといえば赤い車体がトレードマークでしたが、「VSE」はそれを一新する真っ白なそれでした。人気を博したとはいえ、なぜ色遣いが変わったのでしょうか。
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都営浅草線の5300形電車がまもなく営業運転を終了する予定です。主力車両として浅草線内だけでなく、直通先の京急線や京成線などへも入線するロングランナーでした。この5300形、どのような経緯で登場したのでしょうか。
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京成電鉄の看板列車といえば京成上野駅と成田空港駅を結ぶ「スカイライナー」です。この列車に過去使われたAE形電車(初代)とAE100形電車はどのような「乗りもの」だったのでしょうか。運転経験のある運転士に聞きました。
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小田急電鉄の特急ロマンスカーと言えば「運転席が2階で展望席を備える」イメージがあり、最新の70000形「GSE」でも踏襲されています。この「展望席」は1960年代に登場した3100形「NSE」より採用されたもの。3100形とはどんな車両だったのでしょうか。
観光列車
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JR四国の観光特急「ものがたり列車」として、2017年4月にデビューした「四国まんなか千年ものがたり」。多度津から善通寺、絶景で知られる大歩危峡などを経由します。車両のつくりや車内の食事なども魅力豊富でした。
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JR北海道のリゾート車両「ノースレインボーエクスプレス」が30年の生涯に幕を下ろします。「北の大地は全周視界」をコンセプトに、2階建て車両や天窓などがウリでした。ラストランはリバイバルとなる特急「ニセコ」です。
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JR四国の観光列車「伊予灘ものがたり」の2代目車両は、日本一豪華な昼行特急かもしれません。特筆すべきは、専属アテンダントも乗務する豪華な個室「フィオーレスイート」です。実際に体験してきました。
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運行開始から10年目を迎えるJR九州の豪華クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」がリニューアル。客室数や定員を減らした一方で、「茶室」が車内にしつらえられるなど、中身は豪華になっています。どのような旅が始まるのでしょうか。
その他
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東京の住宅街の公園に、見慣れない鉄道車両が置かれています。新路線の建設時に投入された試作車ではあるものの、開業後には全く別の車両が走りました。いわば幻の車両です。
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明治時代に英国から輸入された、鉄道史の生き証人ともいえる蒸気機関車が、豊洲の芝浦工業大学附属中学高等学校に保存展示されました。136歳の同車はまさに流浪の人生。そんな功労者が“特別待遇”で迎えられました。
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戦前の展望車「マイテ49形」が2022年10月、京都鉄道博物館に保存されました。「特急列車の象徴」だった最後の“新製”1等展望車でもある同車は、戦争の時代を経て、どのような変遷をたどったのでしょうか。
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戦前の1938年に特急「富士」用の展望車として生まれたマイテ49形が、2022年10月に京都鉄道博物館に保存されました。そして蒸気機関車などとつないで「特別運行」するというのですから、またとない機会に乗車しました。
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「SL銀河」の牽引機であるC58形蒸気機関車239号機を間近で見られる見学会が、JR東日本 盛岡支社主催で行われました。見られるのは検査中の姿。参加費用2000円に魅せられて訪れましたが、価格以上の見応えがありました。
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100年以上前に製造された、現在のグリーン車に相当する客車に立ち入ったことはあるでしょうか。高知県内で保存されているロ481号は、御料車を除くと唯一といえる優等客車の保存例です。どんな客車でしょうか。
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「デゴイチ」の愛称で親しまれているD51形蒸気機関車は、日本国内向けでなく海を渡った車両があります。その一例がサハリンに送られた蒸気機関車です。日本のD51形とはちょっと違ったスタイルでした。