誰も望まなかった“劣化版”F-16戦闘機なぜ開発?「標準モデルはダメ」米国方針の顛末
ただ1機だけ造られたF-16/79のその後
F-16/79は台湾など約20か国の国々に提案されましたが、最終的にどこの国も採用することなく終わりました。その理由は至極真っ当なもので、F-16/79の性能が通常のF-16よりも劣っているからでした。
このモデルはアメリカ政府にメリットはあっても、高額な予算を掛けて輸入する諸外国にとっては、ほぼデメリットでしかありませんでした。仮に、F-16/79以外に新型機の選択肢がなければ提案された国々も購入したかもしれませんが、戦闘機を輸出する国はアメリカ以外にもあり、台湾などは戦闘機の自国開発に乗り出しています。
さらにF-16/79の開発にトドメを指したのは、当のアメリカ政府による方針転換でした。カーター大統領は自身で作った制限を大幅に緩和し、後のレーガン大統領では方針そのものが転換されます。こうして、アメリカは自国空軍が使っている「純正」のF-16を輸出することができるようなり、性能をわざわざ下げた戦闘機は必要とされなくなりました。
F-16/79の開発に掛かった総予算は1800万ドル(約23億円)とも言われており、これら資金は政府の援助なしにメーカーの自社資金だけで賄われました。ただ、結局は政府の外交方針に翻弄されて、これら開発予算は水泡に帰したともいえるでしょう。しかし、純正のF-16はその後に世界各国に輸出されており、メーカーとしては輸出制限があった時期に世界各国のF-16への注目を集め続けたという点では意味があったのかもしれません。
なお、F-16/79の試験機は1機だけ製造されましたが、そのベースとなったのは複座型であるF-16Bの75-0752号機でした。この機体は開発計画終了後にJ79エンジンからF100エンジンに戻されています。その後はF-16の近接航空支援型の試験や、ロッキード社の試験用テストベットなどに使われ、退役後はテキサス州ダラスにあるFrontiers of Flight(フロンティア・オブ・フライト)博物館にて展示されています。
無駄に終わった派生型を最後までとことん使い倒した、その点では開発中止とともにスクラップにならなかっただけ、F-16/79にとっては幸運だったといえるのかもしれません。
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Writer: 布留川 司(ルポライター・カメラマン)
雑誌編集者を経て現在はフリーのライター・カメラマンとして活躍。最近のおもな活動は国内外の軍事関係で、海外軍事系イベントや国内の自衛隊を精力的に取材。雑誌への記事寄稿やDVDでドキュメンタリー映像作品を発表している。 公式:https://twitter.com/wolfwork_info
>>1970年代後半、カーター政権の方針によってアメリカ軍が運用している最新鋭機の輸出が禁じられ
この部分は、イラン革命が大きな影響を与えていますね。
アメリカ以外で唯一、当時の最新鋭戦闘機F-14を配備していたイランに宗教革命が発生して反米政権が誕生したことにより、アメリカが脅威を感じた事が大きいと思います。
この革命により当時の最新鋭戦闘機F-14の技術等がソビエト連邦に流れたのは、その後のF-14の保守部品の入手方法等を考えれば容易に想像できます。
その後、対日外交のため再度劣化版としてF-2が誕生するのです。