色んな意味で「スピード全振り」しすぎた残念旅客機、なぜ誕生? 戦闘機エンジン搭載で「世界最速」も
いろんな意味で「爆速」だった残念機、何が問題だった?
「高速戦闘機クオリティのエンジン」を積んでしまったために、コンベア880は燃費がライバルと比べて悪く、騒音も増大。また、搭載エンジンは整備性もあまりよくなく、取り扱いが難しい点を有していたほか、戦闘機用から旅客機用へアレンジする段階で価格を下げるべく、耐熱金属を使う量を減らしたことなどから、トラブルが多発したといいます。
加えてこの機は、エンジン後方から吐き出される黒煙が、環境に良くないというレッテルが貼られる結果に。また、操縦も「じゃじゃ馬」とも呼ばれてしまうような難しいものだったそうです。
こうした結果も手伝ってかコンベア880は、初飛行からわずか3年後となる1962年をもって生産終了に。製造機数はわずか65機と記録されています。これは後継機であるコンベア990が登場し、それに生産が切り替えられた影響もありますが、上述の問題点があったことに加え、特長である巡航スピードも、ライバル機とくらべてそこまで圧倒的なものとはならなかったためでしょう。
不運にも、コンベア880の「スピーディーさ」は、生産年数という面でも、ライバル機を上回ってしまったというわけです。
なおこのコンベア880、JAL(日本航空)でも9機が導入されたものの、前述した難しい操縦特性から3機が訓練中に全損事故を起こしてしまったと記録されています。同機は、JAL初のジェット旅客機による国内線運航便として、1961年の羽田~札幌線にデビューしたものの、1971年に全機退役。運航期間はわずか10年と、おおむね20年から30年使われる旅客機の世界では異例の「スピード退役」となっています。
【了】
コメント