壮大だった“伝説の未成線”ついに一般開放へ バスが走った幻の鉄道「五新線」地域はどう活かす?
旧国鉄の数ある未成線のなかで、とりわけ知名度が高い「五新線」が、ついに一般開放されます。かつて国鉄バスの専用道として使われた鉄道施設を、地域の負の遺産とせず観光資源に活かす取り組み、今後どう実を結んでいくでしょうか。
「未成線」のなかでも知名度が高い五新線
国鉄時代に、紀伊半島を縦断する「五新線」という鉄道計画線があったことをご存じでしょうか。
奈良県の和歌山線五条駅から分岐して、吉野南朝の行宮があった賀名生(あのう)、旧西吉野村役場前の城戸(じょうど)、広大な森林地帯を抱える十津川、熊野本宮大社のおひざ元である本宮を経て、紀勢本線新宮駅に至るルートを想定していました。1990年代になって正式に計画は中止されます。
五新線は、未完成に終わった鉄道路線「未成線」の中で一番知名度が高い存在でした。というのも、国鉄バスが未成線の路盤の上を走っていた全国唯一の存在だったからです。
現在、地元の五條市や有志が五新線跡の活用を模索しており、2023年4月1日(土)から『五新鉄道トレインパーク』として賀名生~城戸間の一部が不定期で公開されることになります。未成線遺産を地域活性化に使う先進事例にもなっています。
建設は戦前から 国鉄「バスでどうですか?」
五新線の整備の経緯は複雑です。
鉄道構想は明治時代からありましたが、具体化したのは大正末期になってからです。1939(昭和14)年から、五条~城戸間で鉄道敷設工事が始まりました。五条市街地から丹生川沿いにコンクリートのアーチ橋が整備されていきました。
戦況の悪化に伴う工事の凍結を経て、戦後、五条~城戸間の工事はほぼ完成します。ただ、国鉄はあまり建設に熱心ではありませんでした。城戸の先、紀ノ川水系と熊野川水系の分水嶺となる大辻峠を越えていくのですが、急峻な山並みを抜けていくトンネル工事に莫大な費用がかかるからです。
そこで国鉄本社は1959(昭和35)年、未完の五新線路盤を道路に整備し、国鉄バスを走らせるプランを示します。戦時中に休止線となった白棚線(福島線)の路盤跡で国鉄バスを運行して一定の成功を収めていました。
奈良県は「鉄道で建設すべき」と返答しますが、建設線の終点、城戸に役場がある西吉野村(現・五條市)は国鉄バス案に賛成します。完成の目途が立たない鉄道線に期待するより、ほぼ完成している五新線ルートでバスを走らせるほうが現実的です。地元では意見が2つに分かれて政治的対立が深刻化します。
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