壮大だった“伝説の未成線”ついに一般開放へ バスが走った幻の鉄道「五新線」地域はどう活かす?

「未成線を走るバス路線」として定着 その裏に近鉄・南海乗り入れ計画?

 国鉄の他にも、近鉄が御所線未成線(御所~五条)の五新線城戸直通プランを示したり、南海が高野線・国鉄和歌山線経由で気動車を五新線に乗り入れる構想を披露したりしたため、奈良県政は混乱します。この背景には、五条~十津川~新宮間のバス免許を巡る、関係者の腹の探り合いがあったと思われます。

 最終的に、

・五条~城戸間で国鉄バスを運行する。
・城戸~阪本間で国鉄線として新線整備に着手する。完成次第、五条~城戸間でも列車を走らせる。

という合意が図られました。

 国鉄は未成線敷をアスファルト舗装した上で、1965(昭和40)年、五条~城戸間で国鉄バス阪本線の運行を1日15往復始めました。国道より距離が短く線形が良いため、従来のバスより20分短縮されました。

 一方、城戸~阪本間の鉄道線工事は、国鉄でなく日本鉄道建設公団の手で進められることになりました。1967年に阪本線として着工し、天辻トンネル5kmなどかなりの設備が完成しました。しかし、折からの国鉄の財政難もあって1980年で工事は停止されます。

 1987年の国鉄分割民営化後、未成線バス道はJR西日本に引き継がれ、西日本ジェイアールバスが運行を継続します。当時、第3セクター鉄道での整備も検討されましたが需要予測の数字から見送られました。

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五新線跡バス専用道に残る古びた「国鉄自動車専用道」の看板(2006年、森口誠之撮影)。

 その後、「未成線敷を走るJRバス」は旅行好きな鉄道ファン、そしてバスファンの間で注目されます。この道路、あくまでもバス専用道で、自家用車などは進入禁止でしたが、地元の人も抜け道によく使っていました。

 1997年に公開された河瀬直美監督の映画「萌の朱雀」では、五新線と西吉野村がロケ地として活用され、カンヌで賞をとるなど話題となりました。しかし、西吉野村の過疎化と高齢化で利用は年々減少し、JRは2002年に阪本線から撤退、代わりに奈良交通が10月からバス路線を引き継ぎました。専用道の路盤は五條市と西吉野村が譲り受けました。

 その奈良交通も2014(平成26)年に専用道でのバス運行を中止します。トンネル内壁の落盤の危険性が懸念されたからです。メディアで報道されると、多くの鉄道ファンやバスファンが現地に押し掛けました。ボンネットバスをバス専用道で走らせるツアーも開催されました。

地域の「負の遺産」を活かす!

 その後、奈良の学識経験者らがNPO法人「五新線再生推進会議」を立ち上げ、未成となった阪本線を鉄道遺産として再評価していきます。五條市はNPOや国土交通省と連携して2017年に第1回全国未成線サミットを開催し、旅行会社とタイアップして五新線見学ツアーを催行するなど、鉄道遺産の活用に熱心です。

 国鉄系の未成線の多くは、跡地の設備の維持管理に膨大な費用がかかり、地元自治体には「負の遺産」となっています。側壁やトンネルは崩落のリスクを抱え、橋を解体するにも数億円の費用がかかります。

 でも、五新線の場合、幻の鉄道を観光資源として活かそうと、官民が精力的に動いています。五條市も市の予算でトンネル内部を修復しました。

【ここまで出来てたのか!】「五新線」の計画地図&バス専用道(写真でみる)

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