読めたらスゴイ?「旧日本海軍の“難読艦”」今や使われない漢字も 戦前ならではの命名か
旧日本海軍は「旧国名」「山岳名」「河川名」「天象・地象名」など、様々な命名基準で艦艇の名前を付けていました。中には「何て読んだらいいの」という艦名も見られます。難読艦名と、その由来を紹介します。
なんと奥深き日本語の世界
旧日本海軍は、艦種ごとに艦名の命名基準を持っていました。戦艦なら旧国名である「大和」、巡洋戦艦と重巡洋艦は山岳名である「榛名」「妙高」といった具合です。
1872(明治5)年に旧海軍が創設されてから、太平洋戦争が終わった1945(昭和20)年まで、実に70年余り。その間、数多くの艦艇が在籍しているため、なかには読み方が難しかったり、いまやほぼ目にしない漢字を使ったりしている艦名もいくつか見受けられます。
ただ、そうした難読艦名にも、きちんとした由来があり、日本語の奥深さを感じさせるものも多々あります。代表的なものを見てみましょう。
駆逐艦「子日」
「子日」は難読とはいえ比較的よく知られた艦でしょう。読み方は「ねのひ」で、これは中国から伝来した十二支(じゅうにし)の「子」、つまり「ねずみ」が由来になっています。
意味は「ねずみの日の遊び」で、平安時代から行われていた伝統行事のことです。立春後の最初の「子日」に、郊外へ出て若菜を摘み、小松を根引きにして、その松の持つ意味である「長寿」を願うという風習であり、冬から解放された喜びを表しています。
艦艇としては初代と2代目が存在し、前者は1905(明治38)年に竣工した、神風型駆逐艦(初代)の20番艦になります。常備排水量381トン、最大速力31ノット(約57.4km/h)、主な武装は8cm砲6門、45cm魚雷発射管2基というものでした。
一方、2代目は1933(昭和8)年に初春型駆逐艦2番艦として竣工しています。基準排水量1400トンという小型の船体に、12.7cm砲5門、61cm魚雷発射管9門を搭載し、最大速力は36.5ノット(約67.6km/h)を発揮するという、重武装・高速力な艦でしたが、復原性に問題があったため、大改装で上部構造物を一部撤去し、艦底にはバラストを搭載、さらに魚雷発射管の一部撤去などを行っています。この改装により、排水量1715トン、61cm魚雷発射管6門、最大速力は33.3ノット(約61.7km/h)に落ち着きました。
駆逐艦「深雪」
「深雪」は、「しんせつ」「じんせつ」とも読めますが、旧海軍の艦名としては「みゆき」と読みます。これは深く積もった雪の美称で、『太平記』に「寄手六千余騎、深雪に橇をも懸ず、山路八里を一日に越て、湯尾の宿にぞ着たりける」と書かれているなど、古くから使われている言葉です。
同艦は吹雪型駆逐艦の4番艦として建造され、建造中は「第38号駆逐艦」でしたが、命名基準の変更で「深雪」となりました。基準排水量は1680トン、12.7cm砲6門や61cm魚雷発射管9門を搭載し、最大速力は38ノット(約70.4km/h)という性能でした。
「深雪」は悲劇の駆逐艦でした。1934(昭和9)年、済州島近くで演習中に駆逐艦「電」と接触、この時の衝撃で船体が分断され、沈没しています。竣工からわずか5年で沈没に至っており、吹雪型駆逐艦では唯一、太平洋戦争に参戦していない艦となりました。
「深雪(みゆき)」は現代でも冬生まれの女の子に命名される名前ですよね。
個人的には美しく知的で凜とした佇まいの、しかし芯の一本通った女性をイメージします。
性癖を披露すな
中島みゆきさんの本名が深雪
一等駆逐艦はまぁ割と読める人が多いかなとは思う。
二等駆逐艦はかなりの人が脱落するんじゃないだろうか。
蓼 うつ かと思ったよ