首都圏の鉄道計画 壮大な「ボツ路線」とは 70年代"夢の路線網" 3路線が「東松山」へ集中したワケ

「限界満員電車」対策に国が取った「対策」

 もともと国鉄は、幹線を中心とした「全国鉄道ネットワーク」の整備を使命と考えており、首都圏の通勤輸送対策は「一地方」のこととして「火の粉をはらう程度(磯崎叡国鉄総裁)」の消極的なものでした。

 しかし1960年後半になるとそうもいかなくなり、主要通勤路線の複々線化(五方面作戦)、既存路線間の新線建設と沿線開発、さらにその先には通勤用の短距離新幹線を建設する構想を打ち出します。『交通技術』で記されているのは、そのような背景のもとに検討された構想です。

 新線には「需要追随型」と「沿線開発型」という2つの性格があり、前者は更に複々線化など既存路線の輸送力増強と、放射路線間を結ぶ環状線など潜在需要に対応する路線に分けられます。また後者は私鉄の郊外路線のように、鉄道建設をテコに沿線開発を進め、人口を吸収するための路線です。

 これをふまえて国鉄は今後の鉄道計画を次のように考えました。

・沿線開発型の放射高速鉄道を都市圏外周部まで計画する
・山手線~武蔵野線の地帯に潜在需要対応型の環状鉄道を計画する
・武蔵野線の外側については、在来路線を利用して「通過需要利用型」環状鉄道の強化とともに「地域開発計画に対応した」環状鉄道を計画する

 そのうえで筆者の宮田氏は、当時の都市交通審議会で認められた路線の範囲外で、今後、整備が望ましいルートとして次のような路線を挙げています。

【奇想天外な「ボツ路線」も…1970年代の「首都圏鉄道計画」ルートを見る】

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