首都圏の鉄道計画 壮大な「ボツ路線」とは 70年代"夢の路線網" 3路線が「東松山」へ集中したワケ

「泡沫候補」がやたらと東松山に行きたがるのは…

(6)の「中央・相模連絡線」は西武多摩川線を転用して、多摩ニュータウン経由で相模線に接続し、相模線を都心の通勤路線とする構想です。西武線の多摩NT乗り入れは中央線の混雑を激化させるとして認められなかった経緯がありましたが、中央線の輸送力増強と連携して実現しようという構想です。

 もうひとつの軸が、山手線と武蔵野線の間に配置された3つの環状線です。(A)は1972(昭和47)年の都市交通審議会答申第15号で示された「主として環状6号道路を経由して、板橋附近より五反田、品川に至る路線」、(B)は現在のメトロセブン・エイトライナーに繋がる構想です。

 開発型の路線としては、(4)(D)(E)の3路線が比企ニュータウンを経由していることに注目です。これは埼玉県東松山を中心に人口50万人のニュータウンを建設する構想に対応したものでしたが、肝心の新線整備が動かず、実現しませんでした。 (4)の「比企・八高連絡線」に至っては東武東上線と完全な競合関係にあり、どういう位置づけだったのか、色々気になるところです。

 これら壮大な構想の多くはオイルショック後の経済・社会情勢の変化を受けて、具体化しないまま歴史の中に消えていきました。しかし前述のように形を変えて前進・実現した路線もあるのが「構想線」の面白さです。

【了】

※誤字を修正しました(5月24日17時00分)。

【奇想天外な「ボツ路線」も…1970年代の「首都圏鉄道計画」ルートを見る】

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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