確かにスゴそうな“最良戦闘車”「ヤークトパンター」ヒトラーの一目惚れでも結局使えなかったワケ
必要とされるときに間に合うことが大事!
ヒトラーのお墨付きを得た「ヤークトパンター」の生産は1944年1月から始まり、同年7月のノルマンディー戦で初陣を迎えます。実戦では、期待に違わぬ強さをアメリカやイギリス、ソ連といった敵軍に対して見せつけましたが、もうこの時期になると、ドイツ本土は連日のように激しい戦略爆撃に晒されており、「ヤークトパンター」の生産も滞りがちでした。
おまけに強力な戦闘車両なので、まとまった数できちんと部隊編成が済んでから戦場に送られるのではなく、完成した車両から五月雨式にあちこちの戦場へと送られる始末。その結果、専用の整備回収部隊がいないせいで、ちょっとした故障や、それこそ単なる燃料切れでも、自爆の有無こそあれ戦場に遺棄される事態が頻発しました。結果、単体としては強力な存在であるにもかかわらず、無駄に失われた本車も少なくありませんでした。
ちなみに、「ヤークトパンター」は有用な車両だったにもかかわらず、その総生産台数はわずか415両。せっかく優秀な本車ながら、登場が遅すぎたことが、まさに「間に合わなかった優秀兵器」となってしまった原因でした。
どれほど優れた兵器でも、戦争では、必要なときに間に合わなければ存在しないのと同じ。「ヤークトパンター」は、タイミングがいかに重要かを示した好例のひとつと言えるでしょう。
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Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
戦場に必要なのは、頑丈で故障がなく、そこそこの性能で数を揃える事ができる兵器ですからね。
ケーニヒスティーガーが1両だけあっても、T-34/85が100両で来たら、ケーニヒスティーガーが弾切れ等で半分以上は通過させてしまう事になるからね。
パンターも結局四号戦車を置換えられなかったからね。
ヤークトパンターも四号戦車L70と混成で、そこそこ活躍できた。