新宿歌舞伎町の「廃線」って? 小道に隠されていた鉄道の記憶 その先はもっとエモかった
あれ、歩道と車道で高さが違う!
文化センターの先で文化センター通りは新宿方向の一方通行路になり、クルマ1台分の車道と両側の歩道で構成される道に。左側(北側)の歩道を歩き、ゆるやかなカーブを進むと、車道との間にだんだん“段差”ができていきます。
そのまま車道と右側の歩道は上り坂となっていくのに対し、左側の歩道の高さは変わらず、その高低差はどんどん拡大していきます。
左側はもはや歩道でもなくなり、横の民家と車道の擁壁との間が人ひとり分くらいの幅の箇所も。その先で左側の道は突如としてコンクリート舗装の斜路へ切り替わり、急な上り勾配で車道と同じ高さになったあと、少し坂を上ると抜弁天通りに出ました。ここがかつての専用軌道の終端です。
先ほどの、車道に比べて低かった左側の歩道、そこは「蟹川」という暗渠化された川の上といわれます。
蟹川は西武新宿駅付近から歌舞伎町の繁華街を横断し、文化センター通りの途中からさらに北へ進路を変え、最終的に神田川へ流れていました。都電の専用軌道は、その川筋に沿っていたそうです。周囲の地形も、この川筋に沿って谷となっていて、抜弁天通りと川筋との高低差を緩やかにすべく、線路が一部、擁壁で嵩上げされていたと考えられます。
蟹川の跡は今ではほとんど判別できませんが、線路が道路となった今も、この擁壁と川筋との高低差は変わっていないのかもしれません。
【了】
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