世界中が手本に! 革新的兵器「FT-17」が戦場デビュー -1918.5.31 現代戦車の“先祖”的存在
1918年5月31日、第1次世界大戦中にドイツ軍が行った春季攻勢中に、フランスの自動車会社ルノーが開発した画期的な戦車が初陣を飾りました。現代戦車にも繋がる革新的な構造とは、どのようなものでしょうか。
「現代戦車の始祖」フランスが生んだ画期的な戦車
1918(大正7)年5月31日、第1次世界大戦におけるドイツ軍最後の大規模攻勢、いわゆる春季攻勢の最中に発生した第三次エーヌの戦いで、初陣を飾ったのがフランス軍の軽戦車ルノー「FT-17」です。
この戦車は、「現代戦車の始祖」と言える画期的な構造をしていました。それが360度旋回可能な砲塔を、車体の最も高い場所に設置していた点です。
戦車の元祖は、1916(大正5)年9月から登場したイギリスのMk.1系、いわゆる菱形戦車です。ただ、同車や同時期に戦場に姿を現したフランスの「サン=シャモン」、ドイツの「A7V」といった極初期の戦車は、車体の側面や正面に砲や機関銃を据付ける構造でした。これだと可動範囲が限られており、敵が散開すると、ある一定の方向にしか火力を発揮できないという難点がありました。
だからこそ、複数の砲や機関銃を搭載したのですが、そうすると自ずと車体は大きく、乗員は増えます。対して、ルノーFT-17は砲手(車長)1名が砲塔を操作し、全方位に射撃できる構造でした。さらに、運転手との距離も近いため、砲手との意思疎通が容易で、その点でも兵器として大幅に効率化されています。
結果、その後に誕生したほとんどの戦車がFT-17と同じく、旋回式の砲塔を備えています。こうした点からも、同車の先進性がわかるといえるでしょう。
FT-17の開発には、当時すでにフランス有数の自動車メーカーとなっていたルノーの創業者、ルイ・ルノーの設計思想が強く反映されているとのこと。1916(大正5)年7月、フランス陸軍で戦車の父と呼ばれたジャン=バティスト・エスティエンヌ大佐がルイ・ルノーに新しい戦車の設計を求めた際には、すでに旋回する砲塔や、乗員が乗り降りしやすいように設計したハッチなどのアイデアをルイ・ルノーは持っていたそうです。
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