世界中が手本に! 革新的兵器「FT-17」が戦場デビュー -1918.5.31 現代戦車の“先祖”的存在

米仏では「ビクトリータンク」とも

 ルノーFT-17のコンセプトとしては、軽量で機動性に優れ、塹壕や傾斜を横断できるパワーを持つエンジンを持ちつつ、多数の部隊に広く配備可能なよう大量生産に適しているということが求められました。元々フランス軍は、少数の重戦車を限られた部隊に配備するのではなく、歩兵の銃火器をしのげる軽快な戦車つまり「軽戦車」を広く配備し、戦闘には大量投入した方が有効との考え方を持っていました。

 その要求を満たすために作られたのが、ルノーFT-17というわけです。同車は当時、フランス軍の主力だった「サン=シャモン」戦車が重量23tもあったに対して、わずか6.5tという軽さで、まさに軽戦車と呼ぶにふさわしいものに仕上がっていました。

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ボービントン戦車博物館のイベントで披露された機関銃搭載型FT-17の動体モデル(柘植優介撮影)。

 また、ルノーは、自動車製造で培った技術を活かし、FT-17に画期的な構造を取り入れていました。

 それまでの戦車は、船を造るかのように車台にフレームを通し、そこに箱型の運転室やエンジン、大砲や機関銃などを据付けていくという方法でしたが、ルノーはそこから脱却。装甲を兼ねる鋼板で車体を箱のように組み上げ、その中にエンジンや変速機を設置していくというセミモノコック構造を採用することで、量産性を高めました。

 この設計は大きな副産物を生むことになります。運転手とエンジン室が隔壁で分離されたことです。それまでの戦車は運転手や射手・砲手は場合によってはガスマスクを装着し、同じ室内にあったエンジンの熱や排気ガスと戦ながら、戦闘しなければならないという状況でした。ルノーFT-17に関してはエンジンの排気ガスはエンジンルーム後部から排出されるので、熱や有害な煙に悩まされることがなくなりました。

 さらに運転手や砲手は、前部ハッチを開くことで、戦闘時以外は涼しく新鮮な外気を吸うこともできるようになっていました。言うなれば、乗員の快適性でも画期的だったのです。なお、砲塔は、37mm砲搭載式のものとオチキスM1914重機関銃が搭載されたものの2タイプが開発されました。

 こうして生まれた、FT-17は大戦末期の1917(大正6)年から生産を開始しましたが、前出の量産性の高さから、徐々に数を増やし、大戦の勝敗を決定づけることとなった1918(大正7)年のドイツ軍に対する連合軍の夏季および秋季の反撃攻勢に際しては、戦闘の中心的な存在として重要な役割を果たしました。結果、同戦車を大量に運用したフランス軍やアメリカ軍では「ビクトリータンク」という愛称でも呼ばれるようになります。

 第1次世界大戦中に生産されたものだけで約3100両、戦後に完成したものを合わせると、約4000~4500両が作られた同車は、各国の軍隊へと輸出され、アメリカやイタリア、ソ連などでは現地生産もされています。

 ゆえに、第2次世界大戦でも一部の参戦国がまだ戦力として使用していました。日本も第1次世界大戦後に輸入しており、1931(昭和6)年に起きた満州事変では中国大陸に派遣されるなどしています。

【了】

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Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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