東京最初の鉄道は馬が引いた 年間3300万人が利用「東京馬車鉄道」が20年で消えた"もっともな理由"
「ただの馬車より効率的」海外の先進例を参考に開業
馬車鉄道とはレール上の客車を馬が牽く交通機関で、1832年にニューヨークで開業した「Street Railways(市街鉄道)」に始まります。その名が示すように世界初の「都市交通機関」でした。
ニューヨーク市街鉄道は事故が多発して一時営業が禁じられますが、1850年代に解禁されるとアメリカ各地に広がり、やがてイギリス、ヨーロッパでも相次いで建設されました。日本でも1872(明治5)年に初の馬車鉄道計画が浮上しますが、馬車鉄道を敷設するには道路が狭く、千里軒の件もあって慎重論が強く、1875(明治8)年に出願は却下されました。
それから5年後の1880(明治13)年、新橋から京橋、日本橋、上野を経て、浅草、蔵前、浅草橋経由で新橋に戻る新たな馬車鉄道計画を出願したのが「東京馬車鉄道」です。この頃には馬車鉄道の必要性が認められており、内務省や東京府は計画を承認。鉄道局も新橋駅構内の土地を車庫用地として貸与しました。
官設鉄道の「新橋以北への延伸」については、莫大な費用と労力を要することから事実上不可能と考えており、鉄道局は馬車鉄道の育成を図ることでこれを代替したいと考え、支援に踏み切ったようです。
そして1882(明治15)年6月25日、東京馬車鉄道は新橋~日本橋間約2.5kmで開業。毎月のように延伸を重ね、同年12月1日には新橋~上野・浅草間の全線が開業しました。運転速度は8km/h。所要時間は新橋~日本橋間14分、日本橋~上野間28分、上野~浅草間18分、浅草~日本橋間32分でした。
馬車鉄道は市民に熱狂をもって迎えられ、開業翌年の1883(明治16)年には年間390万人が利用。開業5年後の1888(明治21)年には755万人に達しています。この間、車両は42両から62両、馬は262頭ら444頭へと増強されました。
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