東京最初の鉄道は馬が引いた 年間3300万人が利用「東京馬車鉄道」が20年で消えた"もっともな理由"
「利用が多すぎて限界」!? 都心の馬車鉄道は早くも「世代交代の波」に
しかし運行本数の増加は新たな問題を引き起こします。ひとつは人力車や乗合馬車と比較して大きく重い車両が頻繁に運行することによる道路の破壊です。鉄道運行によって生じる修繕費は東京馬車鉄道が負担すると決められていましたが、同社は大きな利益をあげているにもかかわらず消極的な態度を貫きました。
もうひとつは馬の糞尿です。東京の道路が舗装化されるのは何十年も先のことであり、路面を保護するため水で洗い流すことができないため、ひどい臭気が漂いました。交換待ちで停車時間が長い日本橋付近では「多数の馬が勢いよく放尿して地面が掘り起こされる」こともあったとか。しかし馬車鉄道はもはや東京に欠かせない存在となっており、抜本的な対策は先送りされました。
株式の売買を開始し、創業以来の負債を解消した東京馬車鉄道はさらに積極経営に転じ、1887(明治20)年に品川、新宿、板橋、千住の計4路線の新設を出願します。しかし、これら各方面では道路の改修自体が進んでおらず、いずれも認められませんでした(品川線は後に品川馬車鉄道として実現し、東京馬車鉄道と合併)。
1890年代に入ると日本経済の近代化が進み、1890(明治23)年に138万人だった東京の人口は1895(明治28)年に163万人、1900(明治33)年には194万人、馬車鉄道の利用者に至っては832万人から1547万人、3345万人へと急増しました。しかし存在感が増せば増すほど馬車鉄道の限界が見えてきます。
いっぽうで、1881(明治14)年にベルリンで世界初の電気鉄道(路面電車)が開業。日本でも1890(明治23)年の第3回内国勧業博覧会で電車の「展示運行」が行われ、1895(明治28)年7月に「京都電気鉄道」が開業しました。
東京では1889(明治22)年に最初の電気鉄道が出願され、東京馬車鉄道も1893(明治26)年11月の株主総会で動力の変更(電車化)を決議するなど、路面電車導入の機運が高まります。1900(明治33)年に動力変更が許可されると東京馬車鉄道は東京電車鉄道に改称し、1903(明治36)年に東京市内初の電車を新橋~品川間に開業しました。
日本初の本格的都市交通機関として開業した東京馬車鉄道は、様々な課題や限界を抱えながらも、その後の電車時代の下地を作った存在だったと言えるでしょう。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
コメント