鉄道の歴史は「置き石との戦い」!? 最高は“死刑”の重大犯罪なぜする? 呆れた理由で大惨事

新幹線でも早速置き石が発生

 さて時計の針を戦後まで一気に進めましょう。1960年代は各地で置き石が行われ、重大事故がいくつも発生した時代でした。

 1960(昭和35)年8月18日に磐越西線で発生した置き石では、前日に東北本線で発生した列車妨害事件を知った小学生が、「本当に列車が転覆するか興味を持ち、友達と賭けをしながら線路脇で見物していた」というから驚きです。

 またこの日は山陽本線で貨物列車18両が脱線し、一部の貨車が横転する事故が発生していますが、これも13歳の中学生が「こぶし大の石」3個をレール上に置いたことによるもの。このほか8月には北海道で貨物列車の機関車が脱線する事件が起きています。

 相次ぐ置き石被害を受けて同年11月14日付の朝日新聞夕刊は「線路に置石ふえる一方 高速化につれ大事故」と題する特集記事を掲載し、1950年代後半から置き石に起因する脱線事故が毎年10件程度発生していると伝えています。1957(昭和32)年度の統計では、列車妨害の総発生件数1万3160件のうち1780件が置き石で、ほとんどが子どもの犯行でした。記事は「最高は死刑に」と警鐘を鳴らしています。

いっぽう同記事によれば、山陽本線の脱線事故では、国鉄が抑止効果を狙って親族に6646万円の賠償請求をしたところ、結局支払い能力がなく国鉄が全額を負担することになったそうで、対策の難しさをうかがわせます。

 社会問題になっても置き石は相次ぎます。同年11月26日夕方から27日朝にかけて、京浜東北線と京急の線路上に丸太や石が置かれる事件が発生。翌年4月18日夜には、淡路島に走っていた淡路鉄道の普通列車が成相川橋梁の手前で「直径50cm重さ50kgの石」に乗り上げ、先頭車両の連結器が外れて脱線転覆。乗員乗客5人が重軽傷するという大事故が発生しました。

 1964(昭和39)年12月21日には、開業したばかりの東海道新幹線の泉越トンネル付近で置き石があり、「ひかり8号」「こだま106号」が異音と衝撃を感知。現場周辺で子どもの靴跡が見つかったといいます。

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1964年に開業した東海道新幹線(画像:写真AC)。

 また同年11月から12月にかけて、京阪電鉄の寝屋川市付近で何度も石やコンクリート、枕木などを置いたとして男が逮捕され、被害はなかったものの、3年後に懲役1年6か月の実刑判決が下されています。

 次に置き石問題が表面化するのは1970年代中盤でした。1975(昭和50)年11月25日付朝日新聞は「困った遊び 置き石が急増」と題して、国鉄東京西鉄道管理局(中央線、南武線、横浜線、武蔵野線など)管内で同年4月から9月の半年で前年同期比67%増の371件にも上ったと伝えています。

 特に増えているのはベッドタウン化が進んでいる新興住宅街の周辺で、これは急速な住宅化に対応できず線路脇に柵が付いていない区間が多いこと、遊び場が少ないため子どもが入り込んで遊ぶことが常態化していることが影響していました。

【画像】ヤバイ…! これが「終戦直後の通勤風景」です

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