鉄道の歴史は「置き石との戦い」!? 最高は“死刑”の重大犯罪なぜする? 呆れた理由で大惨事
「脱線用クレーンを撮影したかった」
それから脱線事故はしばらく沈静化していたものの、1980年代に入っていよいよ最悪の事件に繋がっていきます。
事件が起きたのは1980(昭和55)年2月20日21時のことでした。京阪線の上り急行電車が黒田川鉄橋手前で脱線。鉄橋上を150m走った後、急カーブで1両目が民家に突っ込み、2両目も横転しました。51人が重軽傷を負いましたが奇跡的に死者は出ず、車両が衝突した家の住民にもけがはありませんでした。
この大事故を引き起こしたのは付近の中学生5人の置き石でした。彼らは面白半分で線路に立ち入り、線路敷からこぶし大の石をレールに乗せたのです。過去5年、脱線事故が発生しなかったことも油断につながったのかもしれません。
しかしこれほどの大事故が起きても置き石は無くなりません。1984(昭和59)年には10月20日から21日にかけて、小浜線三松駅付近の線路上にコンクリート製U字構5個を置くなどの列車妨害を行ったとして、大学生ら3人が逮捕されています。
同年12月14日付朝日新聞によると、彼らは事件前日の19日未明に山陽本線西明石駅で発生した寝台特急「富士」の脱線事故復旧のため出動した救援用クレーン車を見て「自分たちも撮影したい」と考え、そのために列車を脱線させようと考えたというのです。
近年も、2018年から2019年にかけて東海道本線浜松駅付近の線路上にコンクリートブロックを置くなどした親子が逮捕。2020年5月8日には小学生がJR外房線安房鴨川~安房天津間の踏切内に置いた石で列車が脱線する事故が発生しています。
置き石をする人は、ただの遊び、いたずらと思っているのかもしれませんが、重大な事故につながる行為であり、結果は紙一重です。自分も他人も子供も絶対にやらない、やらせないようにしましょう。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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