悲運すぎる高性能機? F-20「タイガーシャーク」わずか3機で終わったワケ しかし日本で超有名に
F-20の技術が台湾と韓国へ
その後、「タイガーシャーク」のモデル名は、F-5GからF-20へと改称されます。加えて、視界を広くした改良型キャノピーと新型アビオニクスを搭載した2号機と3号機も完成、試験飛行と各国への売り込みが行われるようになりました。
F-20は、価格も性能も申し分のない戦闘機に仕上がっていましたが、新たな生産ラインを設けるほどの発注を集めることができませんでした。しかも、ノースロップにとってさらなる災難が降りかかります。なんと、1号機が韓国で、2号機がカナダで、相次いで墜落。パイロットとともにデモンストレーションを行える機体がなくなってしまいました。
F-20「タイガーシャーク」の売り込みがこれほど苦戦した最大の理由はアメリカの政権交代です。カーター大統領に代わって1981年に大統領に就任したレーガン大統領は、ゼネラルダイナミクス社(現ロッキード・マーチン)が開発した新型戦闘機F-16「ファイティングファルコン」の輸出に前向きになります。このアメリカ政府の方針転換で、F-20を検討していた国々の多くは、F-16を検討するようになり、結果、ノースロップは顧客を奪われる形となってしまったのです。
1986年4月、唯一残っていた3号機がカリフォルニア州チャイナレイク海軍兵器センターの基地公開日で最後の飛行展示を行いました。なぜなら、ノースロップは同年にF-20開発プログラムの終了を発表したからです。
こうして、カーター政権の意向で開発が始まったF-5G/F-20「タイガーシャーク」はレーガン政権の方針転換により終焉を迎えることになりました。ノースロップは政治に振り回された格好ですが、これは軍用機メーカーの宿命でしょう。
しかし、F-20「タイガーシャーク」用に開発されたAN/APG-67レーダーは小型ながらレーダー誘導空対空ミサイル、AIM-7スパローの運用能力を獲得していたため、台湾のF-CK-1「経国」戦闘機と韓国のFA-50/T-50に採用されています。
筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は、奇しくもF-20「タイガーシャーク」が最初に一般公開されたエドワーズ空軍基地と、現役最後の一般公開となったチャイナレイク、両方で実機を見ることができました。
時代に翻弄された悲運の高性能機、F-20「タイガーシャーク」。日本ではマンガやアニメで名が知られるようになっただけでも、同機にとっては光栄なのかもしれません。
【了】
Writer: 細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)
航空評論家、各国の航空行政、航空機研究が専門。日本オーナーパイロット協会(AOPA-JAPAN)元理事
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