だって敵いないんだもん…?「80年前の戦車」が未だ主力の南ア 改修し続ける背景にある“黒歴史”

「アパルトヘイト」で新型戦車の導入が困難に

 一方、南アフリカに目を転じてみると、同国はイギリス連邦(コモンウェルス)の一員として第2次世界大戦で戦うなか、アフリカ大陸の南端に位置する地理的な要因からほとんど戦火に晒されなかったおかげで、大戦直後にはアフリカ大陸随一ともいえる工業国になることができました。

 また、同国はイギリス式で軍隊を整えていたことから、比較的早い段階でイギリス製「センチュリオン」戦車を導入しており、そのことが結果として南アフリカで2023年現在も「オリファント」として現役運用されることにつながります。

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イギリスが開発した「センチュリオン」戦車。写真の車体は主砲を105mm砲に換装し、赤外線暗視装置などを搭載したMk.13(柘植優介撮影)。

 ただ、1940年代後半に表立って行われるようになった同国の人種隔離政策「アパルトヘイト」が、1950年代に入ると国際社会から批判を受けるようになります。その結果、新規のMBTを国外から導入することが困難となりました。一方で、いくらアフリカ大陸きっての工業国とはいえども、さまざまな先端技術が必要とされる最新戦車を独自開発するまでの力はありません。

 とはいえ、オリジナル戦車を生み出すことは難しくても、既存戦車の改修程度なら行えます。

 自国の工業力の「身の丈」を知っている南アフリカ軍は、手持ちの「センチュリオン」を改修してグレードアップさせることができれば、新型戦車を輸入するための外貨を節約することにつながり、おまけにそのまま国内の戦車産業も育成できると判断するに至りました。

 ある意味、この選択は「アパルトヘイト」のせいで国際社会において、ますます孤立の色を強めていた南アフリカにとって、国防上の重要な自助努力だったともいえるでしょう。

 こうして、南アフリカで初のアップグレード型「センチュリオン」が誕生します。それが、エンジンを換装した「スコーキエン」と、そのエンジンにさらに手を入れた「セメル」でした。これらは1970年代前半に登場しますが、アンゴラ内戦においてソ連(ロシア)製戦車のT-54/T-55に劣ることが判明したため、喫緊にさらなる改修が求められるようになりました。

【同じ戦車に見えない…】南アフリカ独自開発オリファント「Mk.1A」「Mk.2」を見比べ(写真)

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