だって敵いないんだもん…?「80年前の戦車」が未だ主力の南ア 改修し続ける背景にある“黒歴史”
「オリファント」誕生にイスラエルの影
そこで南アフリカ軍は、新たな改修計画として1976年から「オリファント」の開発に着手します。同年中に最初の実証試験車が完成。各種試験のあと、最終的に「オリファントMk.1」として制式化されました。とはいえ、同車は「セメル」のサスペンションや砲塔駆動装置、視察装置などに手を加えただけで、過渡期のモデルといえる内容でした。
そのため、続いて登場した「オリファントMk.1A」が本格的な改良型といえるでしょう。こちらは、備砲を20ポンド砲から105mm砲L7に換装。エンジンは新型のディーゼルに、またトランスミッションも新しいものに変更され、性能面でアメリカのM60やドイツのレオパルト1、日本の74式戦車など、いわゆる西側第2世代MBTの基準まで引き上げれられています。
ちなみに、この「オリファントMk.1A」が誕生するにあたり、おそらく参考にされたと思われるモデルが中東イスラエルにありました。それは「ベングリオン」や「ショト・カル」の愛称で呼ばれていた、イスラエル独自改良の「センチュリオン」戦車でした。
イスラエルは当時、南アフリカとの関係が良好だったので、「センチュリオン」をアップグレードするのに必要な技術的援助があったと考えるのが妥当でしょう。ちなみに、「オリファントMk.1A」への改修は1983年から始まり、トータルで約250両が完成したといわれます。
ただ、それでも他国で新型戦車が次々登場してくるため、絶え間ないアップグレードが南アフリカでも求められます。こうして1990年代初頭に造られたのが「オリファントMk.1B」でした。
このころになると、経済制裁を含む国際社会の激しい反発から、南アフリカも「アパルトヘイト」を止めています。その結果、新型戦車も導入できるようになりましたが、逆に東西冷戦の終結とソ連の崩壊によって、南アフリカの周辺に表立って対抗できるほど、野心にあふれた軍事国家、民兵集団が存在しなくなっていました。このように当の南アフリカ軍自身が新型MBTを必要としなくなっていたというのも、「オリファント」を使い続けることになった一因といえるでしょう。
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