【鉄道のある風景今昔】「朝夕しか運転しません」7年間も!? 名鉄電車が走った「北恵那鉄道」 今も残る大橋梁に夢の跡
かつて中央本線の中津川駅の近くから北へ延びる電化の私鉄「北恵那鉄道」がありました。名古屋鉄道が資本参加したため、名鉄からの車両が多く転入しましたが、晩年は線路の保守も行き届かず、廃線のような状況になっていました。
この記事の目次
・名鉄も資本参加した「北恵那鉄道」とは
・今も残る「北恵那鉄道」の痕跡
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名鉄も資本参加した「北恵那鉄道」とは
北恵那鉄道は、中央西線 中津川駅の裏側にある中津町駅と、中津川市付知町にあった下付知駅までの22.6kmを結んでいた電化鉄道路線です。1978(昭和53)年まで運行されていました。筆者は2023年9月1日、その中津町駅近くの遺構を見学してきましたので、その報告を兼ねて同線を紹介したいと思います。
同鉄道は大同電力が木曽川に大井ダムを建設することで、従来、付知川から筏(いかだ)を使っての木材輸送ができなくなってしまうことから、ダム建設の見返りとして建設されたものです。
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Writer: 宮下洋一(鉄道ライター、模型作家)
1961年大阪生まれ。幼少より鉄道に興味を持つ。家具メーカー勤務を経て現在はフリー作家。在職中より鉄道趣味誌で模型作品や鉄道施設・車輌に関する記事や著作を発表。ネコパブリッシングより国鉄・私鉄の車輌ガイド各種や『昭和の鉄道施設』・心象鉄道模型の世界をまとめた『地鉄電車慕情』など著作多数。現在も連載記事を執筆中。鉄道を取り巻く世界全体に興味を持つ。