まるで大都会の終わり「池袋のプッツリ道路」 いつからこの状態? 進展は? その真の計画
巨大ターミナル池袋駅。その近くで、4車線の目抜き通りが突如として途切れるところがあります。その先は、ビルが密集した今までの沿道とは打って変わった閑静な住宅街。道路はこの先延伸されるのでしょうか。
豊島師範学校の広大な敷地があった西口
池袋駅の西側に、JR埼京線と並行するように大通りが通っています。「補助73号線」という名称で、北は川越街道(国道254号)との交点から南は池袋消防署の付近まで、中央分離帯で区切られた片側2車線の道路が約1.3kmにわたり続いています。池袋駅西口から川越街道へ抜けるルートとしてタクシーも頻繁に通り、沿道には商業ビルや店舗がひしめきあっています。
さてこの補助73号線、南側がやや奇妙です。前出の消防署の先、駅からは南西へ直線距離で200mの地点で、4車線道路がプツッと途切れるのです。地図を見ると一目瞭然です。
なぜ、にぎやかな目抜き通りが突如として終わるのでしょうか。ここでビル街も途切れ、以降は閑静な住宅が広がっています。
戦前から池袋駅の西側は文教地区であり、現在の立教大学のほか西口すぐの場所には豊島師範学校(現・東京学芸大学)がありました。ちょうど、現在の池袋警察署付近です。しかし、戦時中の空襲により豊島師範学校を含む一帯が焦土と化すと、跡には戦後、闇市が出現。付近の道筋も旧来のものを踏襲しており、細街路が入り組んでいました。
そのようななか戦後すぐの1946(昭和21)年4月、戦災復興土地区画整理事業として補助73号線が始動します。9月には事業計画が決定し、1948(昭和23)年からの20年間で、現在の池袋消防署先から池袋郵便局前までの約650mが完成しました。ただ、南側は事業化されませんでした。
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