「大東亜決戦機」と呼ばれた四式重爆撃機「飛龍」のスゴさとは? 戦争末期 使われ方は“想定外”ばかりに

性能は良かったが登場時期は遅すぎた?

 1942(昭和17)年12月27日に初飛行した四式重爆は、翌年から生産が始まり、本格的な配備が始まったのは1944(昭和19)年に入ってからでした。もう戦争も後期に入り、急速に戦局が悪化している時期です。四式重爆は大陸での地上攻撃以上に、太平洋各地へ散らばるアメリカ軍基地やアメリカ艦隊に対する攻撃に比重が置かれることとなります。

 そのため、1944(昭和19)年1月には、生産中の機体のうち100機が魚雷を積める雷装機型に改良され、以降はこのタイプが標準装備型として使用されることになります。海軍機ほどではないものの、一〇〇式重爆の航続距離が3000kmに対して四式重爆は3800kmと大幅に伸びており、陸軍として初めて本格的な洋上攻撃が可能な爆撃機となりました。

 雷装した四式重爆は、海軍航空隊に組み込まれ、1944(昭和19)年10月の台湾沖航空戦に参加し艦隊の攻撃を担当しました。爆撃任務としては同年11月、12月に硫黄島経由でサイパンへの夜間爆撃も行いました。試作された、対艦ミサイルである「イ号一型甲無線誘導弾」の発射実験機としても使用されたこともありました。

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飛行する四式重爆撃機「飛竜」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

 その後も、四式重爆は、フィリピンの戦い、九州沖航空戦、沖縄戦などでアメリカ艦隊と戦うことになりますが、戦局の悪化に伴い、1945年4月には胴体に体当たり爆弾「桜弾」を搭載した特攻機仕様まで登場。敗戦後は、降伏全権団の移動用機体としても使用されました。卓越した性能を持っていたものの、戦局が悪化してから投入された機体ということで、満足な性能を発揮できる場はかなり限られてしまいました。

【了】

【戦時中の実験なの!?】これが、日本初の対艦ミサイルを搭載した「飛龍」です(写真)

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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