「戦艦の砲塔こんなデカいのか…」現存唯一「陸奥」の砲塔内を実見! なぜ破壊されずに残った?
原則非公開の「陸奥」砲塔内部は?
こうして陸に上がった戦艦「陸奥」の旧4番砲塔は、太平洋戦争終了までは実際の戦艦砲塔として機能し海軍兵学校の教育訓練に使用されていましたが、終戦後は日本を占領したアメリカ軍によって、再使用できないよう砲の尾栓が外されて内部も爆破されてしまいます。
それでも最大で300mm以上の厚さがある装甲板を組み合わせて堅牢に作られた砲塔はビクともしなかったとのこと。こうして、撤去されなかったことで現在もその外観をほとんど変えずに、江田島の地に残されたというわけです。
現在、海上自衛隊の第1術科学校が窓口になって敷地内の一般向け見学ツアーが行われています。このツアーなどで学校に入ると、「陸奥」の砲塔も遠目に見ることができますが、近づいて中に入ることなどは不可能です。
しかし、このたび筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は取材ということで、海上自衛隊から特別な許可を得て内部に入ることができました。
伝統的な赤レンガの建物を横目に見ながら近付いていくと、まずその巨大さに圧倒されます。ただ、これでも40cm砲の連装型1基だけなので、同砲塔を4基搭載した長門型戦艦はどれだけ大きかったのか、そして世界最大の戦艦であった「大和」の46cm三連装砲塔の巨大さは、いかばかりの物だったのか想像が膨らみます。なお、砲塔の下は砲弾の備蓄と運搬を兼ねた円筒形の構造物であったため、一見すると砲塔タワーのような印象も受けました。
こうして外観をひとしきり見たら、いよいよ一般では立ち入りが禁止されている砲塔内部に足を踏み入れます。まず内部を見学するためには、各人がヘルメットを被り手袋を付けます。砲塔の中は、海上自衛隊の砲雷科隊員の案内に従って安全第一で見せてもらいましたが、否応なく左右の巨大な砲尾や水圧駐退機が目に飛び込んできました。
形状は野砲や戦車砲にも似ていますが、何しろこちらは40cm砲。太平洋戦争時の標準的な大砲である75mm口径と比較すると単純計算でも5.3倍以上となり、ここでもサイズ感の狂った世界が筆者の脳内を駆け巡ります。
砲塔内は、前述したようにアメリカ軍が終戦後に爆破した影響で、砲弾と装薬の装填用の弾薬筐や装填発動機、旋回機などは破壊されており、残骸や歯車などの部品が散らばった状態でした。
目標との距離を計測する測距儀室も破壊されていますが、左右の主砲自体や中央の隔壁および天井以外の砲塔装甲板がしっかりと残っていたのは幸いといえるでしょう。しかし、この状態では貴重な戦争遺構ではあるものの、残念ながら一般公開は無理だろうなと筆者は実感しました。
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