【10式戦車ができるまで】「戦車」と呼べば叩かれる… 予算を勝ち取りマスコミも煙に巻いた“秘策”とは? バレたけど!!

日本を代表する高性能戦車の10式戦車。プロジェクトは1993年頃にスタートしていますが、30年前は冷戦が終わったばかりで、開発予算を獲得するのもひと苦労だったとか。そこで担当者は一計を案じました。

どうすれば開発予算が認められるのか?

「世界最高の戦車を作る!」

 これが10式戦車の開発に携わった人たちの標語でした。しかし、1990年代前半のスタート開始直後は、多くの「無関心派」や「時期尚早派」などといった人たちの声が大きく、その開発環境は決して前途が明るいものではありませんでした。

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量産化するまで途方もない時間と労力を費やした10式戦車(武若雅哉撮影)。

 なおかつ、当時は90式戦車が誕生したばかり。しかも社会党(現・社会民主党)を中心とした村山政権下で「新戦車」という言葉を使ってしまっては、マスコミから叩かれる可能性がありました。つまり、新戦車事業を推し進めるには事業の名称を変更する必要があったのです。

 そこで、担当者が悩みに悩んだ末に考え出したのが、事業を「将来火砲・弾薬」と「将来車両」の二本立てにするというものでした。

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10式戦車の1つ前の国産戦車である90式戦車。10式戦車の開発が始まった1990年代初頭は、この90式戦車こそ「日本が誇る最新鋭戦車」だった(武若雅哉撮影)。

 これは、あくまでも「このプロジェクトは新戦車開発ではない」ということを前面に押し出し、何とかして「新戦車」事業を推し進めるための予算を獲得しようと知恵を絞った末の案だったといえるでしょう。

 こうした背景には、戦車開発に20年の年月が必要だという担当者たちの思いがありました。仮に、1990年代半ばから新戦車の開発を開始できなければ、90式戦車を越える性能を持った新戦車が他国で発表された場合、しばらくその新戦車に対抗できる日本戦車が存在しない状況が続くことになってしまうからです。

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Writer: 武若雅哉(軍事フォトライター)

2003年陸上自衛隊入隊。約10年間勤務した後にフリーフォトライターとなる。現場取材に力を入れており、自衛官たちの様々な表情を記録し続けている。「SATマガジン」(SATマガジン編集部)や「JWings」(イカロス出版)、「パンツァー」(アルゴノート)などに寄稿。

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