人類初の動力飛行は「ライト兄弟」ではない? 真の“世界初”は誰? 功績を認めたくない人々vsコロッと寝返った“権威”

民間人が動力飛行を成功したのを認めたくない!

 初飛行を巡る問題は1914年頃に発生します。当時スミソニアン博物館では、飛行試験に失敗した飛行機を改造して博物館に展示しており、当時の館長だったチャールズ・ウォルコットは「世界初の飛行機は、スミソニアン協会の元事務局長サミュエル・ピエールポント・ラングレーの『エアロドローム』である」と宣言し、ライト兄弟のライトフライヤー号を所有していながら一切展示していませんでした。実はライト兄弟もその功績を最初から認められていたわけではないのです。

 このような仕打ちを行ったのは、ライト兄弟が特に学術的な地位のある人物ではなく、元々は自転車屋で、ただの民間人だったことを面白く思わなかったからとされています。

 ただ、ライト兄弟の飛行機は、兄弟が世界的なグライダーパイロットとしての技術と経験を活かして開発した機体で、操縦の難易度も高く、後に安定性や操縦性を重視して登場した飛行機の構造とはかなり違う部分も多くなっています。そのため、これを世界初の航空機械と認めたくない人も当時は多かったのです。

 これに当時まだ存命だったライト兄弟の弟オービルが大抗議を行いましたが、スミソニアン協会は受け入れませんでした。その一方、ライトフライヤーについてはロンドンの科学博物館が展示したいと提案し、オービルはこれを受諾、1928年にはイギリスに渡ることとなります。

 その後、スミソニアン博物館に展示されているエアロドロームが飛行試験に失敗したものだということがばれ、権威が失墜、また世論の後押しもあり、オービルの主張は認められることになります。

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飛行実験を行うライトフライヤー(画像:アメリカ合衆国議会図書館)

 1948年にオービルが死去すると、ライトフライヤー号はロンドンからアメリカへと戻され、スミソニアン博物館へと展示されることになりました。ここで、ライト兄弟の遺族はこんな契約を結びます。

「世界初飛行を行ったのはライト兄弟である。スミソニアン協会がライト兄弟以外の者を世界初の飛行と認めた場合、ライトフライヤー号は博物館から即座に撤去する」

 そしてスミソニアン協会は、博物館にライトフライヤー号を展示し、「世界初の動力飛行を行ったのはライト兄弟である」との説明を付しました。これにより大きく権威付けられたライト兄弟は、容易な説では覆せない存在となりました。

【元「世界初」機?】これが、失敗していたことがバレたスミソニアンの飛行機です(写真)

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