なぜ100年も運用?「太っちょ野郎」B-52 ご長寿だけじゃない、注目すべき逸話とは?
戦争だけじゃない、意外な「B-52」の使い方
ただ、その後アメリカがベトナム戦争に注力するようになると、B-52の役割も変わり始めます。当時、彼の地は資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)と、共産主義の北ベトナム(ベトナム民主共和国)に分かれており、アメリカは前者を支援していました。
そのようななか、「敵」である北ベトナムを攻撃するために、一部のB-52は通常爆弾が搭載できるように改造され戦争に投入されたのです。B-52は、最大27tという驚異的な搭載量を活かして、北ベトナムを爆撃する「北爆」の主力機として、東南アジアの空を飛び回りました。
ちなみに、この大きな搭載能力は研究開発の分野でもいかされました。NASA(アメリカ航空宇宙局)では、B-52の翼下に特殊なパイロンを取り付けて実験機を高高度まで運搬する目的で使用しています。ほかにも、有人極超音速機X-15やスクラムジェット実験機X-43などが、B-52によって空へ運ばれています。
1980年代には、B-52を装備した18個の爆撃飛行隊が、KC-135空中給油機を装備する空中給油飛行隊と組み合わせて配備されていました。その一部は核弾頭を搭載した形態で24時間アラート待機状態に置かれ、冷戦下における核抑止力を支えていました。
そのころ、B-52の「相棒」として常に行動を共にしたKC-135空中給油機は新型エンジンへの換装と主翼外板の張替えが行われ性能・整備性を飛躍的に向上させました。そこで、B-52も燃費の悪いプラット・アンド・ホイットニー製J57エンジンの一部を性能の良い新型エンジンに換装する計画が持ち上がります。この計画によって、実際にエンジンを換装して飛行テストも行われたものの、結局、予算がつかずエンジン換装は泡と消えました。
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