ローカル線=「国民に大負担」 100年前に問題予測 “我田引鉄”に斬りかかった男の主張とは
利用がなく赤字のローカル線は廃止すればよい――このような声は一部で聞かれ、また鉄道会社も収支状況を公表し、路線改廃へ向けた議論を行いたい考えです。ただ、このようなローカル線問題を100年前に提唱した人物がいました。
近年、突然出てきた問題ではない
ローカル線の見直しが加速しています。JR東日本、JR西日本は2022年に輸送密度2000人以下の路線別収支を相次いで公表し、地域のニーズに合致した持続可能な交通機関とするため、路線の改廃を含めた議論を呼びかけました。
こうした流れを受けて2023年に地域公共交通活性化再生法が改正され、国は全自治体に地域公共交通計画作成の努力義務を課し、ローカル鉄道の再構築について事業者と地域が話し合う「再構築協議会」の仕組みが創設されました。
ローカル線が苦境に陥った背景には、コロナ禍の影響のみならず、地方の人口減少や道路網の整備、自動車中心のまちづくりなど複合的な要因があります。これは近年に突然始まったものではなく、約40年前の国鉄末期に「特定地方交通線」の廃止が進んだように、地方における鉄道の存在感が徐々に低下していった結果でもあります。
そうしたローカル線は、戦前の政党政友会を筆頭に、政治家がこぞって地方に鉄道を誘致して生まれたものです。しかし、そんな「我田引鉄」全盛の100年前に、ローカル鉄道の限界を説き、自動車中心の交通に転換すべきと主張した人がいたことは知られていません。
彼の名は木下淑夫。鉄道院旅客課長や運輸局長を歴任し、現代的な営業制度を作り、国有鉄道初の特別急行列車を設定し、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTBの前身のひとつ)を設立するなど、現在の鉄道の基礎を作り上げた人物です。
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