「やられメカ」だと? “世界初”が詰まった画期的な戦闘機 なのに散々な言われよう…ナゼ?

とにかく相手と時代が悪すぎた!?

 ポリカルポフI-16は、1936年以降、スペイン内戦やノモンハン事変、ソフィン戦争(冬戦争)などの戦場で使用されました。しかし、当時の航空機の進歩は日進月歩であり、同機もすぐに旧式化してしまっていました。

 スペイン内戦では、コンドル軍団としてフランコ政権側で軍事介入をしたナチス・ドイツのBf109Bに圧倒的優位を取られることになります。同機は引込脚のほか、小さく薄い主翼、密閉式の風防、優秀な液冷エンジンを持ち、後の第二次大戦でもバージョンアップして主力戦闘機として戦い続ける先進的な機体でした。

 ただノモンハン事変で対峙した旧日本陸軍の戦闘機である九七式戦闘機は当時の機体では保守的で古い固定脚としたため、設計思想的にはI-16の方が新しい機体となっていました。

 しかし、航空戦が始まると、速度を活かすために許容した分厚い主翼が災いしました。同事変での航空戦は低速・低空で戦われるケースが多く、低速時の運動性を重視して設計された九七式戦に遅れを取ることになってしまいました。また、操縦もかなり難しかったようで、I-16に慣れないパイロットが数多く撃墜される要因にもなりました。

 さらに、冬戦争では圧倒的に戦闘機の機数に劣るフィンランド空軍相手でしたが、国土のそこかしこの凍った湖や、雪原を滑走路代わりに飛び立つ練度の高いフィンランド人パイロットたちに苦戦。独ソ戦序盤にはナチス・ドイツに奇襲攻撃を受けたために、ろくに反撃できず地上撃破されるI-16が続出し、その後はYak-1やLaGG-3、MiG-3などの新型機に前線での役目を明け渡すことになります。

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冬戦争中に墜落し雪原に刺さったポリカルポフI-16(画像:フィンランド国防省)。

 同機は合計で9000機が生産され、一部機体は、爆撃機に取り付けられた状態で運ばれ、戦場近くで切り離して使う、親子機飛行機「ズヴェノー」の子機として使われたほか、スペインでは1950年代まで使用されました。太い胴体にずんぐりした姿は、各地でさまざまな愛称がつけられており、イシャク(ロシア語でロバ)、モスカ(スペイン語でハエ)、ラタ(スペイン語でネズミ)などと呼ばれました。ノモンハンで対峙した日本兵たちも「アブ」と呼んでいたそうです。

【了】

【爆撃機にくっついてる!】これが、I-16の使われた親子飛行機です(写真)

Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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