「最短距離のブルートレイン」意外な使い方も!? 東京-北陸の“夜行列車”たち 急行は「深夜のホームライナー」
北陸新幹線の開通で東京から行きやすくなった北陸地方。それ以前は「遠い」場所であり、夜行列車がいくつも運行されていました。それらは様々な “裏ワザ”的使いかたもあったのです。
「新幹線でひとっ飛び」になった北陸 その前は?
2024年3月16日、北陸新幹線の金沢-敦賀間125.1kmが延伸開業。東京からは最速列車で福井まで2時間51分、敦賀まで3時間8分で行けるようになり、北陸方面への新たなルートとして注目されています。
北陸新幹線は1998(平成10)年に長野県で開催された長野オリンピックに合わせ、前年の1997年10月に高崎-長野間が先行開業しました。そして2015(平成27)年3月、長野-金沢間が延伸開業。東京-金沢間を最速2時間28分まで短縮しました。
延伸開業までの東京-金沢の移動には、1997(平成9)年3月に開業した北越急行ほくほく線を経由する「はくたか」を使用しても、最速で3時間47分かかっていたので、時間的にも感覚的にも遠い印象があった北陸エリアが、北陸新幹線によってぐっと身近な存在となりました。
では、ほくほく線が開業するまで、そしてさらに時間を遡って上越新幹線が開業する前の首都圏(東京エリア)-北陸地方は、どのような列車が走っていたのでしょうか。
■寝台特急「北陸」は首都圏-北陸地方を結ぶ列車の花形
東京エリア-北陸地方を結ぶ列車の歴史は古く、1922(大正11)年にはすでに信越本線経由で上野-金沢間を走る夜行急行列車が設定されていました。戦後の1947(昭和22)年、上越線経由で上野-新潟・上野-金沢間の列車を併結した夜行急行(601・602列車)を新設。翌年には上野-金沢間の単独列車になり、1950(昭和25)年、この列車の名称が「北陸」とされました。
その後「北陸」は、1975(昭和50)年に寝台特急列車に格上げして、客車も特急用の20系寝台車に変更して「ブルートレイン」化。しかし1978(昭和53)年には早くも客車を20系から14系寝台車に置き換えています。昭和50年代前半に沸き起こった「ブルートレインブーム」では、“最短距離のブルートレイン” として紹介されることがしばしばあり、その記憶が残る人は多いかもしれません。
コメント