「巡洋戦艦」って何だったの? 出世魚みたいな変遷をたどった艦種の謎 最後は結局「戦艦」に
「巡洋戦艦」って巡洋艦? それとも戦艦?
「ドレッドノート」と「インヴィンシブル」の登場は列強海軍に衝撃を与えました。
1910(明治43)年10月、旧日本海軍は新たな装甲巡洋艦としてイギリスのヴィッカース社に「金剛」を発注します。しかし、イギリスが「ドレッドノート」に続くオライオン級戦艦と、それを上回るライオン級バトル・クルーザー(巡洋戦艦)を計画中という情報を得ます。これを受けて「金剛」は、バトル・クルーザーに計画が変更されたのです。
1912(明治45)年5月に「金剛」が進水すると、旧日本海軍は8月に艦艇類別を改訂し、巡洋戦艦が新たに設けられました。
「バトル・クルーザー」を直訳すると「戦巡洋艦」または「戦闘巡洋艦」となります。これを旧日本海軍は「巡洋艦並みに速いが装甲は弱めの戦艦」という認識から、「巡洋戦艦」と名づけたのです。
この種別改訂では「金剛」だけでなく、直前に横須賀と呉で竣工した装甲巡洋艦の筑波型と鞍馬型も巡洋戦艦に変更されています。
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