「巡洋戦艦」って何だったの? 出世魚みたいな変遷をたどった艦種の謎 最後は結局「戦艦」に
ついに戦艦に統合!“高速戦艦”に生まれ変わる
ヒートアップした各国の戦艦と巡洋戦艦の建艦競争は、1921(大正10)年のワシントン軍縮条約でいったんブレーキがかかります。建造中の艦は廃棄されるか、空母に改造されることになりました。さらに1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約を経て、新たに戦艦の建造がますます厳しく制限され、日本では就役から20年を超えた金剛型に大規模な改装が決定します。
その際、「金剛」は出力、速力を大幅に向上させ戦艦に種別を変更、正式名称ではないものの「高速戦艦」と呼ばれて、日本での巡洋戦艦の時代は実質的に終わりを告げたのです。
しかし、イギリスでは巡洋戦艦としての呼称が残り続けました。第2次世界大戦を迎えた際にレナウン級などは巡洋戦艦に類別されていたものの、日本の金剛型と同様に改装されており、非公式ながら「高速戦艦」と呼ぶこともありました。
高速戦艦となった金剛型は使い勝手の良さから、第2次大戦では大和型などの戦艦より多用されました。この金剛型に対抗するため新造されたアメリカの「高速戦艦」アイオワ級も登場し、第2次世界大戦後期に重要な役割を担っています。
こうして、「高速・重武装になった巡洋戦艦」という特色自体は、第2次世界大戦に登場した「(速度が速くなった)戦艦」に受け継がれ、戦艦という艦種が途絶えるまで続いたといえるでしょう。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
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