旧海軍の空母「天城」軍艦としては実績なし! でも国土復興には役立った? 敗戦後の意外な転用先

実は今も残る「天城」も

「天城」の船底は1947年8日に北海道の函館港に曳航され、終戦直後に青函連絡船や曳船の修理施設がなく困っていた運輸省鉄道総局の五稜郭工機部に引き渡されます。ここで、浮桟橋兼修理プラットフォームとして活用されました。この浮桟橋としての使用は1年後の1946年には打ち切られたため、短期間で艦の全ての部分が解体されることになりましたが、日本の復興には一時的ながら貢献したともいえなくもありません。

 ただ、軍艦として活躍できないまま他用途に転用されるというのは、なにも同艦に限ったことでもないようです。前出の空母「天城」は、その名を引き継いだ軍艦としては、じつは三代目で、先代となる二代目「天城」も巡洋戦艦として計画後、1921年のワシントン海軍軍縮条約の締結によって建造が中止。その後、空母に設計変更されましたが、完成前の1923年9月に起きた関東大震災で損傷し、破棄されるという不運に見舞われています。そして、解体後にやはり船底が、横須賀軍港内の浮桟橋として使用されています。

 浮桟橋化した、二代目「天城」は、同艦の代わりに空母化された空母「加賀」が建造される際に使用されたほか、複数の艦艇の建造に関わっています。2024年現在でも完全撤去はされておらず、ジャパン マリンユナイテッド横浜事業所磯子工場にその名残を見ることができます。

Large 240813 ama 02

拡大画像

呉で爆撃を受ける「天城」(画像:アメリカ海軍)。

「天城」という名を持つ艦は、2隻続けて軍艦としてではなく、浮桟橋として生まれ変わるという数奇な運命をたどっていることから、妙な巡り合わせを持っているといえるのかもしれません。

【了】

【ここか!】確かに浮桟橋として残る二代目「天城」(写真)

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。