戦艦「長門」を捕鯨母船に!? 代わりに白羽の矢が立った知られざる武勲艦たち「飢餓状態の日本を救え!」
快足かつ武装も十分、上陸用舟艇の揚降もバッチリ!
そこで対策として、一般的な輸送船よりも速く小回りが利き、相応の兵装を備えた小型の軍用輸送船が計画されます。この小型の高速輸送船は、いわゆる輸送船というよりも、物資を多く搭載できるようにした、速力がやや遅く武装が少なめの駆逐艦のような艦型でした。
自衛用として高角砲(いわゆる高射砲)、対空機銃、爆雷、レーダー、ソナーやハイドロフォンといった音波探知機など、軍艦としても通用する装備を搭載。積荷を運びながら自艦を守るだけでなく、輸送船団の護衛もおこなえるように設計されていました。
そのうえ、沖合から岸まで補給物資を運ぶ手段として「大発」と呼ばれる上陸用舟艇を船尾に搭載できました。しかも、これを速やかに発進させるため、艦尾にはスリップウェイ(傾斜面)が設けられていたのです。
さらにこのスリップウェイを利用すれば、大発の代わりに水陸両用戦車(各種の特型内火艇)や甲標的(いわゆる小型潜水艦)、回天(特攻用の人間魚雷)を発進させることも可能でした。また機雷の敷設まで行えたため、輸送任務に加えて、戦闘任務に投入することもできました。
何にでも使える汎用艦として建造されたこの輸送艦は、「第一号型輸送艦」と命名され1944年中頃から竣工が始まります。ただ、日本海軍では46隻の建造を予定していましたが、21隻が完成した時点で終戦を迎えました。
こうして生まれた第一号から第二十一号輸送艦ですが、使い勝手がよかったため酷使されて16隻が戦没。生き残った艦も復員業務に従事することになったのです。
コメント