戦艦「長門」を捕鯨母船に!? 代わりに白羽の矢が立った知られざる武勲艦たち「飢餓状態の日本を救え!」

9月4日は「くじらの日」です。大戦後、食料事情のよくなかった日本で貴重なたんぱく源として重用されたのがクジラでした。ただ、戦争によって日本は捕鯨船にも事欠く有様。そこで白羽の矢が立ったのが3隻の軍用輸送艦でした。

商船転用の輸送船が次々沈没「船が足らない!?」

 太平洋戦争に負けた直後の日本は、戦禍によって国土は荒廃、加えて重要な働き手の男たちはまだ復員しきっていなかったため、国内の食糧生産もままなりませんでした。

 そのような厳しい食糧事情の改善を図るべく、お腹を空かせた日本人のために捕鯨母船として「出漁」したのが、太平洋戦争後期に大量生産された「第一号型輸送艦」の残存艦たちだったのです。

 なぜ数ある残存船舶の中から「第一号型輸送艦」が選ばれたのか、そこには同クラスならではの特殊な船体形状が関係していました。

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終戦直後の1945年9月9日、横須賀沖に留め置かれた戦艦「長門」(画像:アメリカ海軍)。

 1941年12月に太平洋戦争に突入した日本は、真珠湾攻撃やマレー半島、フィリピン、蘭印の攻略など第一段作戦を順調に実施。続く第二段作戦ではニューギニアやソロモン方面の攻略を試みましたが、戦いの様相は底なしの消耗戦となり、日本は各地で制空権や制海権を失ってしまいました。

 しかしこのような戦況下でも、最前線には補給を行わなければなりません。ただ、民間船がベースの一般的な輸送船では鈍足で防御力にも欠けるため、敵の航空機や潜水艦などの攻撃を受けやすく、戦争が激しさを増すにつれその多くが撃沈されてしまいます。

 そこで日本海軍は、高速で相応の兵装も備えた駆逐艦や、海中に潜って敵の目をごまかせる潜水艦を使って補給物資を運びました。前者は夜間に高速で航行するため「ネズミ輸送」、後者は敵の目を盗んで潜航して行われるため「モグラ輸送」とそれぞれ呼ばれましたが、本来、駆逐艦や潜水艦は戦闘艦であるため物資の搭載量は少ないうえ、肝心の戦闘ではなく輸送任務中でも敵に見つかるケースが続出。次々撃沈されてしまい、貴重な戦力をいたずらに消耗する結果となってしまいました。

【73年ぶり】2024年3月に竣工したばかりの最新捕鯨母船です(画像)

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