完成時点で余裕なし!? 窮屈すぎる京王新宿駅は「無理やり改造」の結果だった 10両編成を押し込むまでの苦難とは
地下駅完成と同時に余裕がなくなった
新宿駅付近の地下化は1963(昭和38)年4月に完成しました。これが現在、使われている新宿駅ですが、当初は有効長110mのホームが4線の構造でした。翌年6月には地下区間が初台駅の先まで延長し、新宿~初台間の地下化が完了しました。なお旧新宿駅跡地に建設された京王百貨店が同年11月に開店しています。
1963(昭和38)年4月に17m車両5両編成の運転を開始し、13m級の小型車両が廃止されました。同年8月に架線電圧を600ボルトから1500ボルトに昇圧し、アイボリーにエンジの帯という、現在の京王のイメージを作り上げた18m車両の旧「5000系」が登場、同年中には同車の6両編成が登場しています。
有効長110mのホームは、18m車両×6両編成、つまり編成長108mの列車が限度です。完成と同時に設備に余裕がなくなってしまったわけですが、地下駅は容易に造り変えられません。しかし1963(昭和38)年からわずか3年で輸送人員は約3000万人も増加し、さらなる長編成化が急務となりました。
そこで1968(昭和43)年、新宿駅のホーム1本を京王八王子方(南)に延伸して18m車両7両編成(編成長126m)に対応させ、5000系7両編成の運行を開始します。ホームを改札側(北)に延伸できなかったのか、と思うかもしれませんが、京王新宿駅の隣には新宿駅西口駐車場があり、伸ばせるのは京王八王子方だけだったのです。
1972(昭和47)年に京王としては初となる4扉20m車両の「6000系」が登場。1975(昭和50)年には新宿駅の4番線を撤去して、3番線ホームを20m8両編成に対応させることで、6000系8両編成の運行を開始しました。
この頃、並行して検討されていたのが、地下鉄10号線(都営新宿線)との直通運転です。京王と東京都交通局は1968(昭和43)年9月に20m車両10両編成の直通運転を前提とした基本協定を締結。1971(昭和46)年に着工し、1978(昭和53)年に相互直通運転を開始しました。
京王は1979(昭和54)年、全線10両化の最大のハードルだった新宿駅の抜本的改良に着手。従来はホーム端近くに交差渡り線(分岐器)がありましたが、ホームを延長するために撤去。ただ、駅を出て直角カーブを過ぎるとすぐに勾配となっており、分岐器を設置できないので、線路の勾配を変更し、一部を平らにした上で交差渡り線を移設しました。
新宿駅付近の水道、ガス管などがひしめき合う地下空間で、営業を継続しながらの改良工事は困難を極めましたが、1982(昭和57)年10月に完了し、同年11月から本線系統の特急・急行に10両編成の列車が登場しました。
その他の各駅でも10両編成に対応したホーム延伸工事が進められ、最終的に1989(平成元)年の京王八王子駅地下化による10両編成化により、全線で10両編成の運行が可能になりました。新宿駅の細長いホーム先端は、京王の長きにわたる輸送力増強の取り組みの生き証人とも言えるでしょう。
そんな京王新宿駅ですが、ここにきて思わぬ形でホームの延伸が実現しそうです。新宿駅西口再開発で西口駐車場の出入口が移設されるため、ホームを車止め方向に延伸し、ホーム階に改札口を新設する計画があり、2031(令和13)年度の完成が予定されています。これにより京王八王子方の極狭ホームは使用を中止する計画です。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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