傑作イタリア車は日本車のパクり!? 有名評論家が主張した「定説」の真偽は? 関係者が吐露

アルファロメオは「スバル1000」を入手してテストしていた!?

 ただし、ルスカさんが「スバル1000」の存在をまったく知らなかったかと言えば、どうやらそんなこともないようです。

 筆者は、ひょんなことから徳大寺さんがミラノのテストコースで見たという「スバル1000」の正体を知りました。それは都内にある老舗のフランス車専門店を訪れたときのこと。この店の社長が輸入車ディーラーの日英自動車(当時)に勤務していたときの昔話を聞かせてもらうと、彼はだしぬけに「徳大寺さんがアルファロメオ本社で見たっていう『スバル1000』ね。じつは、オレがイタリアに輸出手続きをしたんだよ」と言い放ったのです。

 彼に詳しく話を聞くと「あれはたしか……、1960年代後半(筆者注:おそらくは日英自動車がアルファロメオの販売権を取得した1968年以降だと推察)のことだったと思う。ある日、アルファロメオ本社から『大至急、日本のスバル1000を送ってくれ』って依頼が舞い込んできたんだよ。それで富士重工の販売店に急いで注文してイタリアへと輸出したんだ。その手続きを任されたのがオレでね。多分、5~6台は送ったんじゃないかな」と語ってくれました。

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ドイツの独裁者ヒトラーによる「国民車構想」で生まれた「kdfワーゲン」。のちに「ビートル」の愛称で知られるフォルクスワーゲン「タイプ1」として世界的ベストセラーになる。開発を担当したのはポルシェ博士で、彼の愛弟子であったルスカさんも開発に携わった(画像:トヨタ博物館)。

「アルファスッド」にまつわる都市伝説についても尋ねると、「ルスカが存在を知らないってことはないと思うが、オレがイタリアに『スバル1000』を送った時期を考えれば、アルファロメオがコピーしたとは考えられない。ある程度開発が進んだ段階で『スバル1000』の存在を知ったんだろうね。それで試作車の比較評価用に実車が欲しかったんだと思うよ」との見解を示していました。

 この証言が事実ならば、徳大寺さんがミラノで見た車両との整合性が取れます。どうやら「アルファスッド」は「スバル1000」をコピーしたわけではないようですが、実車を入手して調査や比較試験は行ったようです。

 それでも、いまだに「アルファスッドはスバル1000のコピー」という噂話が方々で聞こえてくるのですから、徳大寺さんの影響力の大きさと、まだまだ成長途中であった日本車がヨーロッパの名門自動車メーカーに多大な影響を与えたという物語性が、日本人の心に大きくしみたのを改めて感じずにはいられません。

【了】

【アルファロメオがパクった!?】これが富士重工の名車「スバル1000」です(写真)

Writer: 山崎 龍(乗り物系ライター)

自動車やクルマを中心にした乗り物系ライター。愛車は1967年型アルファロメオ1300GTジュニア、2010年型フィアット500PINK!、カワサキZX-9R、ヤマハ・グランドマジェスティ250、スズキGN125H、ホンダ・スーパーカブ110「天気の子」。著書は「萌えだらけの車選び」「最強! 連合艦隊オールスターズ」「『世界の銃』完全読本」ほか

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