「貨物船だけど実は“空母”です」実際どう運用した? 民間人の船員が運航した英空母

戦闘艦なのに民間船?

「オーダシティ」以後も商船からMACシップへの改造は1944(昭和19)年まで続き、その数は19隻に上りました。

 大戦中期以降、ドイツ海軍の通商破壊戦は潜水艦がメインとなります。それらに対してアメリカの護衛空母も投入され、連合国の優位に戦局が推移するようになると、MACシップは航空機の輸送や船団の給油艦としても使われるようになります。

 そして1944年後半には順次、退役して元の商船に復帰していきました。

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旧日本海軍の商船改造空母「大鷹」。日本郵船の約1.7万総トンの貨客船として進水後、空母に改造された(画像:アメリカ海軍)。

 MACシップは護衛空母の位置付けだったものの、実は当初からイギリス海軍の船籍名簿に編入されず、商船として元の船員が運航していました。その背景には、本来の1万t級護衛空母が就役すると、乗員不足になるのは明らかだったからです。

 ちなみに、日本でも戦時中、海軍に輸送船として徴用された商船は、民間の船員が軍属として運航しており、大勢の犠牲者を出しています。日本と比較すればMACシップの損害は少ないものでした。

 商船改造空母とはいえ多数の空母同士が相対した日米戦に比べて、もっぱら潜水艦が相手だった大西洋のイギリス海軍は運用方法も立場も大きく異なりました。ドイツ軍の航空攻撃が限定的だったのは、MACシップには幸運だったといえます。大西洋と太平洋、海の戦いの様相の違いは、こんなところにも表れています。

【了】

【これじゃダメだ…】“カタパルトだけ”のCAMシップと、飛行甲板のついたMACシップ(写真)

Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)

軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。

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