海自の悲願! 70年越しで実現した「空母保有」なぜ挫折続いた? 真価問われるのはこれから

海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」「かが」が事実上の空母に姿を変えます。ただ、海上自衛隊は空母の保有を発足前から望んでいたとのこと。どのような経緯だったのか、70年以上かかったその歩みを振り返ります。

空母保有が目前に でも「安保闘争」の影響が

 その後、保安庁警備隊を経て1954(昭和29)年7月、防衛庁(当時)海上自衛隊が発足。東西冷戦が激化し、ソ連の潜水艦が日本の安全保障にとって脅威となる中、海自は対潜能力の向上を理由に対潜ヘリコプターを搭載したヘリコプター搭載母艦(CVH)を保有しようとします。

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第二次世界大戦中にアメリカ海軍が建造したコメンスメント・ベイ級護衛空母。排水量1万1370トンで全長は170m。戦後も強襲揚陸艦やヘリコプター空母に転用され、艦によっては1970年ごろまで使われていた。写真は14番艦の「シシリー」(画像:アメリカ海軍)。

 1958(昭和33)年度にスタートした第1次防衛力整備計画(1次防)では見送られたものの、続く第2次防衛力整備計画(2次防)に向けて具体的な検討が行われ、防衛庁技術研究所(当時)で配置図の作成まで行われました。

 庁議でもCVHの建造計画が通り、ついに空母保有が実現かとなったものの、2次防は日米安全保障条約の改定を巡る混乱、いわゆる「60年安保闘争」の影響で決定が遅れます。結局、CVHは1961(昭和36)年度予算には盛り込まれず、計画そのものが立ち消えになりました。

 しかし、潜水艦の性能が高まる中、水上艦と艦載対潜ヘリを組み合わせたASW(対潜戦)能力の向上は必要不可欠です。こうして海自は全通甲板を持つ空母ではなく、強力な兵装とヘリ搭載能力を併せ持ったヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の計画に舵を切りました。その結果、第3次防衛力整備計画で生まれたのが、HSS-2哨戒ヘリ3機を搭載可能なはるな型護衛艦2隻でした。

 その後に策定された第4次防衛力整備計画では、政局による策定の遅れや修正だけでなく、期間中(1972年度から1976年度)に第4次中東戦争が勃発したことが大きな影響を与えます。この戦争では、OPEC(石油輸出国機構)が原油の供給制限と輸出価格の大幅な引き上げを行いますが、これにより急激なインフレが世界を席巻、日本にも経済的な混乱をもたらしました。

 いわゆる「第1次オイルショック」と呼ばれた出来事で、これにより海自でも護衛艦の新造が一部中止になるなど、防衛政策に大きな影響がありました。日本政府/防衛省でも財政的に中期的な見通しが立てられなくなり、1977年度から1979年度にかけて単年度で予算が策定される「ポスト4次防」と呼ばれる期間に突入します。

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