戦前の「ダイハツ」といえば!? 世界に先駆けて画期的な日本で生み出された兵器とは

“ダイハツ”といえば今は自動車メーカーの名前として知られていますが、戦前・戦中では日本陸軍の上陸用舟艇を指しました。戦車も運んだ“ダイハツ”、当時はとても画期的なものでした。

船首に隠された画期的な仕掛けとは?

 現在の日本で、“ダイハツ”といえば、主に軽自動車や小型車を主力している自動車メーカー「ダイハツ」を思い浮かべる人がほとんどだと思われます。しかし、戦前、戦中の日本では、別のものが“大発(ダイハツ)”の通称で有名でした。それは、旧陸軍の上陸用舟艇である大発動艇、略して「大発(ダイハツ)」です。

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海軍の降伏使節が乗船した大発の海軍版である十四米特型運貨船(画像:アメリカ海軍)。

 なぜ陸軍がこのような舟艇を作ったかという、対立していた海軍が信用できなかったからという訳ではありません。経緯は諸説ありますが、旧軍では1874年の台湾出兵以来、元々、海上の物資や兵員輸送のほか上陸作戦を主導的に行っていたのは陸軍で、海軍はその艦船を保護するのが主目的でした。そうした、海上輸送を受け持つ陸軍が衝撃的だったのが、1915年2月に行われたイギリスのオスマン帝国への上陸作戦であるガリポリの戦いでした。この上陸作戦では、翌1916年1月にイギリス軍が大打撃を受けて撤退します。

 この戦いの教訓となったのが、機械が発達した近代の戦闘に置いては、悠長な上陸をしていると、敵に迎撃準備を整えられ猛烈な反撃を水際で受けしまうということでした。時間を使えば使うほど、上陸後の本格的な部隊展開の足掛かりとなる橋頭保の構築が困難となることが明らかになりました。そこで、短時間での上陸を行えるようにと設計されたのが大発です。

 同艇の大きな特徴となっているのが、艦首が海面や地面に向かって倒れる扉式になっている点です。海岸に直接乗り上げた際に、船首が城門の跳ね橋のような形で開き、それを即席の足場である歩板(ランプ)として使用することで、兵士が容易に上陸することができます。

 2025年現在においては、上陸用舟艇には必ずといっていいほどついている機構で珍しくもありませんが、当時としては非常に画期的なものでした。日本陸軍では1930年からこの大発を使っていましたが、当初は船首の構造を軍事機密扱いにするほどでした。第二次世界大戦でアメリカ海軍が上陸用舟艇として利用したLCVP(Landing Craft Vehicle Personnel 通称:ヒギンズ・ボート)も同艇を参考にしたといわれています。

 

【それのるの…!?】これが、戦車を上陸させる「ダイハツ」です(写真)

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