いずれ首都高が貫く? 埼玉のど真ん中に残る“田んぼの迷宮” 抜け道利用が「オススメできない」その理由
首都高の埼玉新都心線を延伸し、東北道までつなげる構想の「核都市広域幹線道路」は、広大な「見沼田んぼ」を貫きます。抜け道利用が課題とされる都市部に残った貴重な緑地、どのようなエリアなのでしょうか。
見沼田んぼを横断するかもしれない首都高
埼玉県内を走る首都高は、「川口線」が東北道に、「6号三郷線」が常磐道につながっていますが、「埼玉大宮線」とそれに連なる「埼玉新都心線」は、開通以来どの高速道路ともつながることなく、さいたま市内の「さいたま見沼」出入口を終点とする“盲腸線”のまま、現在に至っています。その状況が変わろうとしています。

現在、両路線の接点となる「与野JCT」から北に延びる「新大宮上尾道路」が事業化され上尾市内までの延伸工事が進められています。一方、埼玉新都心線では、終点のさいたま見沼から本線をさらに東進させ、「見沼田んぼ」を通り抜けて東北道へのあらたなアプローチにするという「核都市広域幹線道路」の事業化に向けた動きが進められています。
核都市広域幹線道路の整備理由の一つとして、首都高から東北道まで、見沼田んぼを抜け道として利用する交通が多く、生活交通との錯綜が生じていることが課題として挙げられています。では、その見沼田んぼとは、どういったエリアなのでしょうか。
GoogleMapでさいたま見沼出入口付近の衛星画像を見ると、すぐ南を東西に芝川が流れ、その両岸にきれいに区画整理された農地が広がっていることがわかります。ここから東、そして南北に続く一帯が見沼田んぼで、野菜や果物を中心とした都市型農業が盛んに行われています。
この見沼田んぼが開かれたのは江戸時代中期で、遠く利根川が流れる下中条村(現在の行田市)から引かれた農業用水路「見沼代用水」がこのエリア北側で東縁(ひがしべり)/西縁(にしべり)に分かれて高台を通り、その高低差を活かして各地で農地を潤したあと、東縁と西縁に挟まれた低地にある芝川に流れ込むという、すぐれた構造を特徴としていました。
ただ埼玉県内は、戦後の都市化の流れにより、東京に近い地域や鉄道駅周辺を中心に都市化が急速に進展します。見沼田んぼも西縁の北部や東縁の南部では宅地化が進みましたが、その中心部は県による開発規制により、灌漑設備や農地などの近代化を行いつつも、都会には珍しい自然豊かな土地として、旧来の姿を止めています。
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