砲塔たくさん積めば強い!?「多砲塔戦車」使えなかったワケ 作って分かった当たり前すぎる欠点
昔の漫画などには、大小多くの砲塔を載せた「多砲塔戦車」が登場することがあります。ただ、多砲塔戦車は実際に使ってみると、すぐに廃れてしまいました。なぜだったのでしょうか。言われてみれば納得の理由でした。
多砲塔戦車が姿を消したワケ
このようなコンセプトにより、第1次世界大戦後、各国で多砲塔戦車の開発が盛んになります。1921年に造られたフランスの「シャール」2Cを皮切りに、1926年に生まれたイギリスのA1E1「インディペンデント」、1930年代にはソ連のT28やT35、ドイツのNbFz、日本の九一式重戦車や九五式重戦車などが誕生しています。

しかし、これら各国の多砲塔戦車には、搭載した兵装の威力の良し悪しなどといった些末な問題ではなく、もっと根本的な問題がありました。それは、複数の砲塔を備えるので必然的に大型・大重量化する車体に対して、相応の機動力を付与できる小型高出力のエンジンが、当時の自動車技術では開発が困難だったこと。同様に、大重量に耐えられる履帯やサスペンションも、優秀さと頑丈さを兼ね備えた高性能なものが造れないというものでした。
加えて、より問題だったのは、1両の多砲塔戦車の中でそれぞれの砲塔を適切なターゲットへ指向し、交戦することを指示する指揮の困難さでした。確かに、各砲塔が単独で独自のターゲットと交戦するのは可能です。しかし車長が自車の周囲の戦況を見渡して、緊急性や優先順位が高い目標を各砲塔にそれぞれ別個に指示するのは、難しいことでした。
このように、ハードとソフトの両面で問題の多い兵器でありながら、製造コストは当時の一般的な戦車の2倍から3倍もしました。
結果、適切な車体サイズとそれに適した相応の装甲と武装が施され、砲塔の旋回も軽快な単砲塔戦車のほうが、多砲塔戦車よりも運用者の使い勝手がよく、おまけにいっそう効果的であることが、多砲塔戦車の運用を通じて判明。その結果「時代のあだ花」ともいうべき多砲塔戦車は、1930年代中旬以降には陳腐化し、廃れてしまったのです。
ただ、21世紀に入ると、それまで戦車が砲塔上部に備えていた副武装の重機関銃を、砲塔内からリモート操作可能なRWS(遠隔操作銃塔)にする動きが活発化します。その流れは現在も続いているので、エレクトロニクス技術の進歩とともに、将来的には再び多砲塔戦車が復活するかもしれません。
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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