未だに沖縄で“終わらない戦後処理”を続ける人々 戦闘で残された不発弾の完全処理まで後何年?

今から約80年前、沖縄ではアメリカ軍が上陸を開始し、地上戦が展開されました。この戦により、日米双方から大量の砲弾、ロケット弾、爆弾が沖縄の大地に降り注ぎました。そのうち、約1800tが、未だに不発弾として残されています。

戦争の負の遺産のひとつ

 今から約80年前の1945年4月から6月にかけて、太平洋戦争末期に沖縄は大きな戦禍に見舞われました。アメリカ軍が上陸を開始し沖縄で地上戦が展開されたのです。この戦により、日米双方から大量の砲弾、ロケット弾、爆弾が沖縄の大地に降り注ぎました。そしてそのうち、約1800tが未だに不発弾として残されているといいます。

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信管を抜いた不発弾を運ぶ隊員(画像:陸上自衛隊 第15旅団公式X)

 膨大な数の不発弾は、終戦を迎え平和が戻った現代でも、その過去の遺物が沖縄の人々を苦しめています。それら“負の遺産”を安全に処理するため、陸上自衛隊には、不発弾処理隊という部隊が存在しています。

 沖縄に残った不発弾を全て処理するには、実はあと70~100年は確実にかかるだろうと言われています。終戦直後は1万tともいわれる爆弾や砲弾が爆発しないまま残されており、突然爆発し、住民を負傷させるだけではなく、人命も数多く奪ってきました。

 こうした事故を防ぐため、沖縄占領時代はアメリカ軍が不発弾の処理を行っていましたが、1972年の沖縄本土復帰後は、沖縄に駐留した陸上自衛隊が不発弾処理の任務を受け継いでいます。

 1993年には不発弾のエキスパートである第15旅団隷下の第101不発弾処理隊が発足し、それまで以上に、不発弾処理を精力的に行っています。

 不発弾の存在が市民などからの通報により明らかになった場合は、警察などからの要請を受けて、同処理隊が対応することになりますが、その出動は多い時には1日に5件に上るといいますので、沖縄の不発弾の多さには本当に驚かされます。

 第15旅団のホームページのトップには、発見される度に更新される今までの不発弾処理の件数が記されています。それによると、令和7年4月7日現在で、4万289件、1892トン。これが第101不発弾処理隊により適切に処理された不発弾の数です。なお、今まですべて無事故で行っており、第101不発弾処理隊の大きな誇りのひとつとなっています。

【爆発で破片が飛び散らないように…】これが、爆弾処理用の容器です(写真)

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